「可愛いじゃん」
真っ赤な嘘であった。
引き攣る頬を力技で押し切り、作り笑いを完成させる私の目の前には青い何かが突っ立っていた。―――警察のマスコットキャラクター、タイホくんが。
「だよね、やっぱり可愛いよね!もう、みつるぎ検事ったら見る目ないんだから!」
「ム……しかしこれは、」
「なるほどくんもそう思うよね!」
「え、あ、えーっと……」
視線を宙に泳がせた龍一に真宵はご立腹であった。しかしどう考えてもそいつは可愛くない。
だけはちゃんと解ってくれるよね、そう言って真宵が再び私を見たので私は曖昧に頷くが、張り付けた笑みが若干引き攣ったような気がした。どこがどう可愛らしいというのか、まったく解らない。甚だ理解できない。龍一がお疲れ様という視線を送ってきたので、真宵が私から離れた隙に溜息をついた。
「…………どーこが可愛いって?これの」
聞こえないくらい小さな声で呟くと、見事に聞き取った龍一が疲れた顔で頷いた。彼女の感性には以前から疑問ばかりを抱いていたが、やはり普通ではないらしい。真宵は『あ、あっちにも居る!』と突然叫んで走り出し、刑事課のデスクの海へと消えていった。龍一は盛大な溜息をついて、彼女を止めるため追っていった。つくづく損な役回りである。私と御剣はその背中を無言で見送り、姿が見えなくなったころに眉間に皺を寄せた御剣がぽつりと零した。
「……やはり君もこれが可愛いと思うのか?」
御剣がタイホくんを見つめながら言い、答えを求めて私を見た。
「……まさか。馬鹿言わないでよ」
溜息混じりに言うと予想以上に疲れた声が出たので、また溜息をついてタイホくんを見つめる。理解できないと神妙な顔でじっとタイホくんの置物を見つめる御剣は、決して間違っていないだろう。私だって何処が可愛いのかさっぱり解らない。
女性の好きそうなものが大抵理解出来ないというのは、女として如何なものだろうか、と自問するも、理解出来ないものは理解出来ないのだから仕方が無い。
「女性はこういうのが好きなのだろうか」
「それどう考えても私に対して失礼なんですが。まあ、最近の子はこういう気味悪いのを平気で可愛いと言うらしいし」
タイホくんの何が気味悪いかって、あの死んだような魚の目だ。光のない焦点のあってるんだかあってないんだかよく解らない目だ。あれはありなのか?警察はあんな死人のようなマスコットを公にしてもいいのか?
あらゆる方面から見て、今すぐに、もっと生き生きした勇敢そうでそれでいて馴染めるキャラクターに変えるべきだ。
「気味が悪い、か……女性らしからぬ発言だが同感だな」
「あ、何それ何その言い方。硝子のハートに傷がついた」
「嘘をつくな」
納得するように頷いた御剣に反論すると、1秒の間もなく嘘吐き呼ばわりされた。確かに棒読みだったがそういうことを言われたら普通は傷付くぞ。私は例のとおり普通じゃないが。
「はいはい済みませんでしたね、即答かよ。何でもいいからちょっとくらい信じてくださらない?」
「どこを信じろというのだ。作り笑いがまた上達したのではないか?」
別に女性らしからぬというのはどうだっていいが、不信を前面に出されては頬が引き攣るのを止められない。何なのだこいつは。作り笑いと言うのは恐らく冒頭の真宵に対するものなのだろうが、あれはそういう処世術だ。致し方あるまい。
「じゃあどうやってあの場を収めるっていうわけ?ああいうときは、頷いときゃ良いのよ。あれで本心口に出したら険悪なムードと1日過ごすことになると思うんですが異論は?」
喧嘩口調になるがそれも仕方がない、と思う。だったらお前はあの場で頷けるのかと。笑えるのかと。
異論はあるかと引き攣る笑みで問えば何の躊躇いもなく御剣は言う。
「ないな」
たったそれだけの3文字を。
あまりにもしれっと答えるので私は溜息をついた。異様に疲れる。私だけが熱くなっているのなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。何故だかいつも奴とはこうなるのだが。
「それに関してはよい判断だったと思うが。助かった」
「……だったら始めからくだらないことを言わないでくれないかな」
「ただの埋め合わせだ」
時間の。私は盛大に溜息をついて、来客用に備え付けられていたソファに腰を下ろした。私はいつもそうだった。時間の埋め合わせのくだらない話で熱くなって、それが暇潰しだったということを知れば肩を落とす。
それこそ彼の何を信じたらいいのか解らないが、私は毎回騙されている。それはつまり、御剣を絶対的に信じているというわけだ。それは決して、学習しない脳の足りない馬鹿、ではないのだと私は思う。多分、修正不能なくらいに信じきっているだけで。
「嘘ばっかつく相手をなんで信じられるんだろうね」
私が口にしたのは、唐突なものだったと思う。私の頭の中では確かに繋がっていることだったが、御剣には通じず、一瞬訝しげな顔をしたが、彼は特に突っ込んだりはしなかった。
「それも同感だな。私も嘘だといい加減に解るはずなのによく騙されている」
御剣が呟いた。意外だった。御剣は騙す側であって、騙されたりはしないのだと思っていた。現に今彼は検事なのだ。真実を暴き出す力には長けているだろう。
「じゃあ、やっぱり信じきってるってことかな」
「そうだろうな。どこをどう見て信頼を置いたか理解に苦しむが」
「そうだね」
互いに苦笑する。きっと盲目的に、ただ相手を信じている。それだけなのだろう。御剣が騙されているなんて、想像がつかないけれど。
「……なんでこの私ともあろう人間が、天然三段フリルタイの赤スーツなんかを信じてんだろうなあ」
心の中でぽつりと呟く。ああ、勿体無い。人生が勿体無い。そういう溜息をついて横目で御剣を見る。
「…………その天然三段フリルタイの赤スーツ、というのは私のことか?」
―――そこで漸く気がついた。自分がその言葉を口に出していたことに。
「……そうでしょうね」
今世紀最大であろう盛大な溜息を私はついた。何故頭の中で呟いただけで終わらなかったかを考えれば、容易な問いだった。それは相当謎だったからだろう、自分が御剣を信じきっているということが。
「……そんなことは良いからあんたは誰に騙されてるわけ?」
話題を転換する。言う予定のないことを口走ってしまったのでそこを突っ込まれたくない。騙されているというのはどうにもよろしくない言い方だが。
「……ふむ……あえて言うならば、自覚のない作り笑い上手の男勝り、というところか」
「…………それはつまり私に喧嘩を売っているということかな?」
聞いただけでその人物が誰だか解る。今までの会話を全部盛り込んだ比喩表現に笑みが引き攣る。そんなのどう考えたって私じゃないか。
「……信じてないんじゃなかったの?」
何処を信じればいいのだと言われて、まさか自分が信じられているとは思うまい。さっきと言っていることが違うではないか、そう思って漸く気付く。ああ、私はまた騙されていたのだと。
「不信の人間と一緒に居る趣味はない」
御剣がしれっと言う。確かに、それはそうだ。私だって信用ならない奴と一緒に仲良く喋っていたくはない。御剣はとくに、作り笑いだとか、そういうのが苦手だろうし、きっと数分も話しては居られないだろう。そう考えると、私は随分と恵まれた位置にいるのだろう。そうならば嬉しいけれど、本当に信じてくれているのだろうか。
「疑えるわけがないだろう、君を」
私の顔にそれが出たのか、御剣は当たり前だと言うようにそう言った。それはあまりにも真実味があって、私を騙しているものではないと解った。だって、それは当たり前、なのだから。
「私も君に聞きたいのだが?」
私が御剣を、信じているのかどうか。
「……疑えない。絶対に疑ったり出来ない」
ねえ、それは何故だか解る?
「愛しているから、ではないか?」
御剣が挑戦的に笑む。私たちは互いを疑えない。愛しているから疑えない。それはつまり、私が御剣を愛しているということであり、彼が私を愛してくれている、ということで。
「ご高察傷み入ります」
そして私は作り笑いをする。本当は嬉しくて泣きたくなったのを打ち砕いて、いつもの笑顔を模造する。嘘吐きの貴方の前で泣いてなんかやらない。本当のことを囁いてなんかやらない。
ねえ、私はきっと騙し続けるだろう。
そして貴方は疑わない、それでも信じ続けるのだろう。
「私は、御剣怜侍を愛しています」
でもこれは、これは最後の真実だ。
これは、真実だ。
信じてくれ、
これは決して
模造ではない
20070616 ( Believe me. )