例えば年季の入った車でも、真新しいパソコンでも、アンティークでも、いかに美しく表現するか計算しつくされた芸術品でも、私の興味を引くような、心の内から情熱を燃やせるような、いわゆる電気の走る出会いというものは、いまだかつて私には訪れたことがなかった。
 無気力、諦念、無個性、心の底からの欲求がない、情熱とは、希望とは何か?
 そういう私のような人間が蔓延し、既に過ぎ去った時代の一区画に生きていた人間―――つまり職人や、未来を信じて熱く汗水流す者―――は、はてと首を捻り、理解できず、相互間に巨大な壁が建設されている現代、
 「また哲学者気取りかい?」
 ……されている現代、こうして無気力な若者を、心を燃やせぬ若者が唯一考えていることを、哲学者「気取り」と評す、大変に心無い一言を捨てていく大人もまた、居るのであった。
 「うるせーやい」
 テレビの電源をつければ、ちょっと前はニートの話題がちらほらと上がっていたが、今やその熱も冷めてしまい、派遣労働やらネットカフェ難民やらが取り上げられていた。もはやニートが時代遅れとでも言うかのような報道たちに、欠伸のひとつでも投げてやり、時代の移り変わりの速さに少々驚きつつ、でもまあ結局、何も変わらず私はだらだらと怠惰な日々を、働かずに過ごしている。つまりは、ニートをしている。
 「いい加減に手に職つけたほうがいいんじゃないかな。このまま行ったら就職どんどん難しくなるよ」
 と言うのは、心無い大人である、弁護士の、成歩堂龍一であった。彼自身が彼の助手によると、まったくもって時代遅れの正義漢らしいのだが、現実と向き合うだけの人間的成長はきちんと遂げているのであったから、まだまだ見習い風情の彼であっても、私は口を尖らせた。
 「私はさ、こう、心から燃える何かに出会えるまでは、一歩たりとも動きたくないんだよね」
 「一歩たりとも動かなかったら何にも出会えないんじゃ」
 「お黙り」
 そんなことは解っている。解っていて、言っている。
 自分から扉を開けて、何かを少しずつ変えていくのが、私は嫌であった。言わば、変化を恐れる性質なのだが、しかし、変えたいという願望はあった。ただ、その願望が、今までの私を闇に葬るほどの、過去ときっちり決別出来るほどの、極限の変化でなくてはならなかった。
 「とりあえずやることないなら、お茶汲んでみたりとか……」
 成歩堂は、控えめに、私を小間使いにしようと提案した。私は「やることとは、衝撃的な出会いを待つことである」と定義していたので、眉間に皺を寄せたが、小うるさい大人に文句を言わせぬ処世術というものを手始めに実行した。つまりは、茶を汲んだ。実行することにより、仕事の、いかに虚無的なことかを、身をもって知るために。

 その日一日を、小間使い的感覚で過ごしてみると、まさしく虚無であった。
 虚無は、虚無でしかなかった。何を生むかといえば、虚無であった。
 「今日はよく働いてたね。気が変わった?」
 成歩堂は、仕事終わりに私の入れたコーヒーを啜って、微笑んだ。からきし駄目な我が子が漸く歩き出したのを喜ぶ父親のような雰囲気であった。
 「全然」
 が、私は、虚無であった。
 「……それはそれは。随分疲れた顔だけど大丈夫?」
 成歩堂が私を心配して問いかける。その様に、今日初めて少しだけ心が温かくなかった。だがしかし、働いて失った私の中の何かを埋めるには、まだまだその暖かさには荷が重かった。
 「いい大人になるというのは、働いて、嫌でも働いて、耐えて、漸くお金を貰うことなのかねえ」
 成歩堂と同様に、自分にも入れたコーヒーを啜って、呟く。私には、何か達観したところがあった。
 「そんなことを言われるとなあ」
 苦笑する成歩堂は、多分、いい大人だと私は思う。口には出さないが。それとなくも、教えてやらないが。彼が弁護士という職に就いたのはお金のためなんかじゃなく、それこそ心から燃えるとも違うけれど、十分立派な理由であった。そういう面では、ちょっとばかり尊敬している。これもまた、言わないが。
 「好きなことだけして生きていけたらいいのにな」
 「それほど世の中甘くありません」
 マグカップをテーブルに置いて、ごろりとソファに身を投げ出して切なる願望を口にすると、かの弁護士は説教じみていながらもふざけた口調で言った。それから腰掛けていた立派なデスクを立ち、私の傍へ寄ると、そのてのひらでもって、ぽんぽんと私の頭を撫でた。
 「急ぐことはないかもしれないけど、変化は、必要だよ」
 成歩堂は、かねてから私を励ますのが、上手だった。なんなんだ、こいつ。泣きたくなってきた。だけれどきっとここで泣いても泣き止むまで頭を撫でてくれて、私が社会復帰するために助力を惜しまないのであろう彼の前で、私は泣くのを我慢した。無気力、諦念、迷惑、迷惑、人の迷惑。
 「働いたら」
 「ん?」
 「働き始めたら、ご褒美、ちょうだい」
 子供の頃から、達観したところがあった。無気力だから、働かないという、わがままをしてきた。けれども、自分で頼んだことは、一度だって無かった。迷惑を重ねることは、知っていたけれど、どうしても虚無に立ち向かうにはご褒美が、必要なのだ。それが、無気力世代の本質であった。初めてのおねだりは、涙を伴いそうに重かった。決意だった。
 「……いくらでも」
 優しく微笑む彼は、きっとぽっかりとした虚無を、埋めてくれると、私は心のどこかで、信じ始めていた。
 言葉と同時に降ってくるキスに、心から燃える何かが、あったわけではない。だけど、そこには安らぎがあった。過ぎ去る時代の荒んだ私を、虚無を、柔らかに包む暖かさがあった。
 「龍一、」
 好きだなんて、口にするには、あまりに私は生まれたばかりであった。だから私が、いつかなるべき私になれたとき、我慢した涙と共に、言葉にするよ。
 虚無は、存在し続ける。
 いつか心が折れて、癒されるしかない日がくるとしても、涙を拭いて、それでも結局、生きていくしかない。



世界はやっぱり

上手くいかないが



2008/12/28( 生きる )