重なり合う武器、光、
辺りに広がる、ふたつの悲鳴。
The silver bone which you dislike.
「まさか、こんな簡単に屋敷から放り出されるとは、ね」
ざわり、と風に揺られて木々が音を立てる。まだ日も昇っている昼間だったと言うのに、辺りは木が陰になっているのか暗い。
此処が何処だかもわからない状態で、無闇に動き回るのは危険だということくらいは、いくら軟禁されていたとしても知ってはいる。まずは此処が何処なのかを掴む為、辺りの様子を確認するほかない。耳を澄ます。
「(水……?)」
ざあ、と微かに水音がし、振り返って見れば、崖の向こうには海が見えることに気づく。水音はすぐそこからだ。多分、川がある。それを見つけて辿って行けば、街の方へ出るか、海へ出るかはわからないが、とりあえず森からは抜けられるはずだ。魔物に出会いさえしなければ、それはもう問題なく、なのだが。
「……そう簡単には行きそうも無い訳ね」
周囲には魔物の気配が幾らか感じられる。そして目の前には、大型のモンスターが、今まさに、襲いかかろうと。
「仕方が無いね」
一つ、閃光。
■
「くそっ、いつまでこんな事してなきゃなんねえんだよ!」
「静かになさい!魔物に気づかれるわ」
紅い髪の男はひとつ舌打ちをして、足早に坂を下る。息が少々荒い。その傍には川が流れ、静かな音を立てている。小さめの岩や石の様子からして、おそらく下流の方であろう。同行する女は男を叱咤しながらも、同じように歩みを速めた。ざわざわと木々が揺れるたびに、魔物が飛び出してくることを考えて男は眉根を寄せた。常に神経を張り巡らせていなくてはならないなんて、と。
「ったく……なんで俺がこんな目に……」
■
「(いい加減に尽きないの……?)」
私は剣を振るいながら内心で愚痴らずには居られなかった。今朝ファブレ邸で起きた超振動に巻き込まれた結果、私は今ひとり此処で緩やかな斜面を下っている。
何だって私がこんなことを。思いながら、周囲に視線を巡らせ、敵が見えなくなったことを確認すると溜息をついた。
モンスターはそう多くない。それにしても、襲ってくる魔物を倒して行くのには、なかなか面倒なものがある。体力的にも、此処が何処なのかわからないというのに戦闘ばかりで消費してしまうのは危険だ。バチカルまで戻るのに、距離があったら長旅になるかもしれない。
――……増してや、此処がマルクトであったら。そう考えると軽く恐ろしい。間違いなく私は簡単にはバチカルに戻れないではないか。キムラスカとマルクトを行き来するには、国境であるカイツールを通らなければならない。流石に旅券まではない。
最後の敵を倒して悶々と考え込むと、左の方から、ぎい、と音がし、ふと見てみれば辻馬車が横に見える。大人しそうな馬が車を引いていた。―――辻馬車。
「こんな所でどうしたんだい、お嬢ちゃん」
横の辻馬車を凝視していると、その陰から男が現れ、少し離れている此方へ呼びかける。おそらくあの辻馬車の持ち主だろう、馬が懐いているようだった。
観察している間に男が近くまで来ると、どうしたんだい、ともう一度男は私に問うた。
「……道に、迷ったんです。街はどちらの方向ですか?」
「おお、そうかい。街は……そうだな、これに乗っていくかね?」
言えば男はにっこりと笑うが、―――若干怪しい。方角の説明もなしに乗車する権利を提供するなんて、どこに連れて行かれるか知れない。だが今の私には兎に角足が必要だ。仮に危険人物だったとしても、適当に車を抜け出すなりすれば良い。
「良いのですか?」
「金はかかるがな」
「……わかりました。一番近い街へ、お願いします」
男に頼みながら、幾らか金を持ってきていて良かった、と心の中で思う。屋敷の中まで金を持っていなくとも良かったのだが、念のためにそれなりに持っていたのだ。というのは、もしもの話で、大災害に遭って屋敷が崩壊したら、だとか、あとはまあ、言えないがそういう理由で。料金を渡し、馬車に乗り込もうとすると、男が思い出したように言う。
「ああ、そうだ、荷物があるんでね。少し待ってくれ」
言うなり男はすぐに馬車から離れたので、私は少し離れた木の下に腰を下ろす。疲れた。最近は身体を動かしていなかったから筋肉痛になりそうだ。
そんなことを考えて数分すると、男が荷物を持って戻ってくる。それに合わせて私も情けない身体を叱咤して立ち上がる。
「悪いねえ。客が増えたから、狭いかもしれないけど我慢してくれよ」
なんてあっさり言うんだ、この男は。先客があったのに当たり前のように新たな客を連れてくるなんて、サービスも何もあったもんじゃない。相席なんてゆっくり出来ないじゃないか。
馬車の持ち主の男は、自分の座るであろう場所の横に荷物をどかりと置きながら、済まないね、と言った。む、謝られると強く出られないではないか。そんな自分のお人よしさに溜息をひとつついたが、それにしても、随分と大荷物だな。これを運ぶのに馬車を使わない手は無い。たまたま此処に通りかかってくれたのはラッキーだった。同乗者が増えるのは面倒だが、歩いて迷うと余計に大変になるのだろうから、ここは合わせておこう。自慢じゃないが私は方向音痴である。
「わかりました」
言うと馭者の男は客が逃げなかったことに安堵したのか、少し表情を緩めて頷いた。そして馬車の向こう側へと回っていって見えなくなった。同乗者とやらは、今男が向かった方向、つまり馬車を挟んで向こう側にいるらしく見えない。何人乗るのだろうか。馬車から離れたこの位置から、馭者の暫く後を追って、馬車の向こう側に居るであろう同乗者を確認しに回る。近づくにつれて徐々に声が聞こえ始め、馬車の男は、その人達と料金について話しているようだった。
馬車の後ろまで回ってくると、
「……うそでしょ」
言い切れぬ脱力感。私の目に入ったのは、なんと見慣れた色だったろうか、姿だったろうか。思わず馭者の男に口を開く。
「すみません、あの、同乗者って、」
「おやお嬢ちゃん、何かね。今料金について話しているから、もう少し待ってく――……」
「!!」
「……ルーク。無事だったみたいね」
はあ、と思わず盛大な溜息をついてしまった。私の目の前には、同乗者。真っ赤な長い髪、品の良い、そいつ。一瞬前を通り過ぎたくらいでも誰だか判断できるくらい、見慣れた顔、だった。ルーク・フォン・ファブレ。赤毛ヘソ出し我侭の貴族の御曹司は、一体何をしたのか、解っているのだろうか。
「……すみません。今はこれしか……」
決して感動とはいえない再会を果たした私とルークの横では、料金についての話を続けている長髪の女―――……ルークがその間に教えてくれた、ティアというらしい女は、宝石を取り出して男に見せる。それを足の御代にと言うらしい。持ち合わせが無いのだろうか。屋敷にのこのこやってきた割に、どうやら金は持っていないらしい。
「お前、良いもん持ってるんだな」
「これから先は期待しないで。……もうそれしか無いの」
ルークがへえ、と声を漏らすのに、ティアが躊躇いがちにそれを男に渡そうと手を伸ばす。
いや、ちょっと待て。あたしはそれを見届けてしまって良いのだろうか?持ち合わせがない人を見す見す放っておいて良いのだろうか?いやいけないだろう、どう考えても。困っている人を助けないでどうする、という、そういう暑苦しく面倒くさい思考ではないが、何故だかルークが此処まで来るのにお世話になっているらしい。それなのにこのティアの物品で済ましてしまうというのか、私は?いいやそれは駄目だ。元を辿れば確実に責任はティアにあるが、襲ってきた割にはちゃんとルークを送り返そうとしているらしい。その誠意に免じて、
「待って」
「ん?どうしたんだよ」
多少惜しいが、ポケットから財布を取り出す。ああ、私も随分とお優しいものだ。溜息をつきたくなるね。此方としてもここが何処だか解らない以上、金銭面での先行きが不安になるが、まるきり金が無いのであればティアの方が更に不安が高まってしまうだろうし、仕方あるまい。宝石は金に換えてもらえないと、ただの運賃で渡すのは勿体無い。実際にいくらなのか解ったもんじゃないからだ。実は運賃以上の値が張るかもしれない。最後の切り札にしなければ。
「ちょ、ちょっと待って!そんなに払ってもらう訳には……!」
「大したこと無いよ。ルークを助けてくれたお礼ってことで、大人しく払われてくれない?」
ティアが止めようとするが、此方とて引く気は無い。もし宝石が高値だったら勿体無い。本当は大した代物でないかもしれないが。まあ宝石を見る目のない私だから、そんな判断など出来るはずもないが、ルークが良い物と言ったら良い物なのだろう。一応私の財布には少しの金と言ってもそれなりにある、何せファブレ家に身を置いているのだ。面倒くさいことに変わりはないが、困っている人を助けるのは当然の事だし、よくナタリアも言っていたのだ、出来ることはする。ということにしておく。
「でも……」
「四の五を言わない!お金が無いんでしょう!」
「は、はい!」
無理矢理押し切る形ではあるが、これでも人助けだろう。気持ちがあるのかないのかは置いておく。金銭面の話ではあるが、きっとこれでもナタリアは喜んでくれるに違いない、人助けだから。何を言っても、人助けだから。
ごそりと財布から大金が出されると、ティアは驚いたような、申し訳なさそうな顔をしていた。ルークは何も思うところが無いのか、黙ってそれを見ていた。当然だろうな、貴族の御曹司なのだからこの程度の金、くらいにしか思わないだろう。一般人と金銭感覚がまるで違うのが見て取れる。こうもあからさまにそれが見えると、やはり良い暮らしをしているのだと痛感するせざるを得ない。
しかしまあ、ルークは本当に関心も何もあったもんじゃないらしいね、川の方をぼんやり見つめていたよ、この貴族様が。だけど、靴が土で汚れている。綺麗な髪も少し乱れている。普段では有り得ない光景に違いなかった。疲れただろうか。外に出られたとて、これでは楽しめないだろう。心奥で小さく火が燻った。
■
がたりがたり、と馬車が乗り心地悪く揺れた。たまに石にでも引っかかるのか大きくがたんと揺れるときは尻が痛いものである。そんな乗り心地好ましくは無い馬車に揺られて、街を待つ。どうやらルークとティアは、首都へ向かうつもりでいるらしいが、此処がキムラスカだと解っているのだろうか。もしマルクトなのであれば、どんどんバチカルから遠ざかっているかもしれないと思うのだが。
「なあ、。俺達はどうなったんだ?……何でこんな所まで飛ばされなきゃなんねえんだよ」
「超振動ね。ティアから説明受けてない?」
ルークが不服そうに吐き捨てた言葉には、全く誠意がないというかなんというか。何も知らないということは解っているのだが、自分が関係している事ぐらいには見当がつくように、知識をつけて欲しいものだ。仕方ないのだけれど、なんだか無性に情けない。
ルークによると、超振動に関する話は一応ティアから聞いたらしい。理屈もなんとなくは理解していたようだが、ただ、ついつい愚痴っぽくなってしまったらしい。そりゃまあ、突然わけもわからず見知らぬ土地に吹っ飛ばされたら誰だって文句を言いたくなるだろうが。
「あのねルーク。あんたがすぐかっとなってティアに斬りかかったから超振動なんかが起きちゃったわけ。もう少し堪える事を知りなさい」
「あ?ああ……わかった」
何だその反応は。本当にわかっているのかどうか疑わしいところだが、まあそれは置いておくべきである。まずは屋敷へ帰ることを最優先としなければならないのだから。きっと超振動がどんなものなのか大して理解していないであろうルークを適当に叱咤して、窓の外を眺めた。
がたり、がたり。
馬車が揺られて結構経つが、どことなく異臭がするのは気のせいだろうか?キムラスカとは違う気がするのだ。前方には、小さく村が見えてきているのだが、あんな村がキムラスカにあっただろうか。遠目に見て、農村のようだ。農村、農村、農村。はて、あんな、村が、キムラスカに?―――あるわけがない。
非常に嫌な予感がするのは、恐らく私の気のせいなんかではない。
「……あれ、『エンゲーブ』じゃない?」
なんだそれはと言った感じの顔で、ルークとティアは此方を見る。エンゲーブ。マルクト領の小さな農村だ。その近くの森深い所ということは、今まで自分たちが居たのはタタル渓谷、だろうか。―――つまり、マルクトまで飛ばされた上にキムラスカから更に離れ、その上マルクトの首都までの金を払っていたということだ。何と言うことだろうね、まさかという言葉は今まさに人生で一番使用すべき時だろうよ。
呪われたように不幸だと思ったね、その時ばかりは。
「っすみません、あそこで降ろしてください!」
まさかこんな事でしくじるとは。
殆ど変えていませんが、加筆して再アップします。
(051223)脱稿
(071021)加筆・修正
(080906)加筆・修正
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