珊瑚礁なんていう名前の店を発見したのは、つい1週間前である。
 そして、その中で羽ヶ崎学園のプリンスこと佐伯瑛に出くわしてしまったというのは、絶対誰にも内緒にしなければならないのである。

 「解ったな?解ったなら学校で俺を見ても近寄るな、話し掛けるな」

 その時の佐伯の怒涛のマシンガントークと言ったら凄まじかった。津波のような勢いで畳み掛けられた私は、はあ、と気の抜けた返事をするしかなかった。あのはねがくプリンスがあんなに強気であんな顔をしてあんな風に押してくるだなんて思いもしなかったのだ、流石に。まさか仮面を被っていただなんて。知らなかったし、ついでに気がつこうとも、しなかった。同じクラスでも席は端と端だし、いつも女子に囲まれているし、王子と何を話せば良いのか見当もつかない。
 まあ何にせよ、以来、まだ1週間しか経っていないが、私はあの1回を除いても既に2回珊瑚礁へと通っていた。あそこのコーヒーは異様に美味い。
 2回目の訪問で、私は佐伯が将来バリスタになると意気込んでいるという話を聞いた。私は何を迷うことがあろうか、激しく同意して背中を押した。ぜひとも美味いコーヒーを淹れてくれ。コーヒーの味に感動してうっかりテンション高めにそんなことを言ったら、佐伯は目を丸くしていた。
 それについて問うてみれば、どうやら相手にも、同じ印象を持たれていたらしい。勉強もスポーツも出来て落ち着いていて顔が良くて人気もある優等生だ、と。佐伯瑛に顔が良いと言われたら、そりゃ自慢するしかない。しないけど。
 まあその他の面については、確かに勉学に励むし運動も出来る。が、本来私はそれなりに五月蝿い生徒である。ただ、学校でいざこざを起こすのは不本意なので、そんなところは一片も見せることなく静かにしている。いっそクールぶっている。いかにも手本となる生徒を演じている。そしてそのために友達はゼロなのである。クラスの女子らは私を友達だと思っているようだが、嘘で塗り固められた笑顔で接する相手は、友達にはなり得ないのだ。
 だからすなわち、今友達という座に君臨する権利を有するのは、佐伯瑛ただ一人なのである。偶然としか言いようがない出会いだったとしても。

 「、今日あんたの番よ」

 とりあえず、何を言っているのか解らなかった私は、机の前に立つ彼女を見上げるしかなかった。

 「なーに、その疑問の目は。この前さ、佐伯君の話したでしょ?もかっこいいって言ってたじゃん」
 「……ああ、そんなこともあったね。それで?」
 「だから、気を利かせた私が佐伯君との夢のランチタイムローテーションにあんたを組み込んどいてやったってわけ。感謝しなさいよ〜?」
 「え、あ、は?」
 「お昼は中庭でどーぞ!じゃねん」
 「ちょ、」

 去っていく表向きの友人は、私の方を見もせずに教室から出て行った。なんて唐突でなんて自己中心的なのだろう。そしてどうやら彼女は彼氏と弁当を美味しく頂くらしい。
 ―――いや、そんなことはどうでも良くてだ。私は一体どうしたら良いのだろう。佐伯と昼飯?有り得ない。殺される。絶対チョッペストだ。私は奴がチョップ魔だということを知っている。
 私は物凄くあの時のことを後悔するほかなかった。さっきの仮の友人に、佐伯君ってやっぱかっこいいよねーだとかなんとかネタ出しされて、そうだね、と合わせていた当時の自分が如何に恐れを知らぬ勇者だったか解った。それこそチョッペストしたい。

 「今日、の番だよね!ね、目新しい話あったら、教えてね!」
 「あ、え、うん。わかった」

 じゃあ行ってらっしゃい!と言って友人ということになっている女子が私の背中をチョッペストなんて目じゃなくプッシェストしたので、教室の外へ放り出された私は、もうはばがくプリンスとランチをトゥゲザーするしか道は残されていなかった。訳の解らない言葉の使い方に対し、もう意味が解らないなんて、そんなことを考えている場合ではなかった。
 ―――緊急事態なのだ、これは。
 足取り重く中庭へ向かうとき、吐き気がするほど青い空に眩暈を覚えた。









 私は今でも覚えている、あの時荒れ狂う海の如く釘を刺したプリンスの姿を。

 「言ったよな、俺言ったよな、近寄るな話しかけるな関わるなって言ったよな、なのにおま、なん、何でこんな、意味わかんねその優秀な頭は公式だけがインプットされた機械仕掛けのポンコツだったのかよっつーか話聞いてなかったのかよ!!」

 ―――そして今、再び畳み掛けられているのだった。凄まじいマシンガントークで。

 「……いや、その、クラスメイトに佐伯君ってかっこいいよねって言われたから、同意したら、その、何か勝手に夢のランチローテーションに組まれ、まし、て……」

 目が泳ぎに泳ぎまくる私を助ける者などそこには一人も居なかった。何故なら今ここにいるのが私と佐伯瑛だけだからだ。
 どうやら女子の間では暗黙の了解ということで、その夢の空間には誰も近寄らず誰も手出しをしないという話になっているらしい。だから佐伯も王子の皮を被らなくても良いのだ。

 「……かっこいいって言ったから許す」
 「なんすかそれ、凄い現金」
 「やっぱ俺の逆鱗に触れたことにしよう」
 「いやすいません取り消しますなかったことにしてください」

 たったの数回言葉を交わしただけで、何故だかここまでコントが出来るようになった私、グッジョブ。公式だけがインプットされたポンコツとは言わせないぜと思うのを内心に留めておく。口に出すとチョップが降る。

 そういう感じで始まったはねがくプリンスこと佐伯瑛とのランチタイムであるが、はてさて何を話せばいいのか解らない。とりあえず弁当を広げて食うしかない。ネタなら君が出してくれたまえ。非常に偉そうなのでこれも言えないけれど。

 「何、お前冷凍食品マニア?」

 ネタの心配をしていると、佐伯が私の弁当を除きこんで要らぬことを口走る。なんだ冷凍食品マニアって。普通の女子なら傷付くところを思わず笑う。王子がこんなことを言うなんて誰も思いやしないだろう。

 「失礼な。これは母上が忙殺されながらも心を込めてレンジで温めた愛情弁当な」
 「はいはいそうだろうとは思ったよ。しかし俺との昼の一時に冷凍食品詰めまくった弁当持って来た女子はお前だけだ
 「……そりゃ悪うござんしたね、生憎料理は食べる派なので。手伝わないし作らないので。残念ながら家事全般しないんで。家庭的じゃないんで」

 愛情弁当なんです、という風に続くはずだった言葉を遮られたのでむっとして、それから更に冷凍食品弁当に突っ込まれたので言い返す。大体佐伯と昼飯だなんて聞いていない。準備のしようがないじゃないか。
 別に冷凍でも良いじゃないか、最近の冷凍食品はなかなか美味いのだぞ、と思いながらそれを口にする。なんだか自分が可哀想になってきたのは、気のせいであって欲しい。

 「そんなこと言っておきながら、調理実習は満点で最高点だったのはどういうことだ?どうせ家事も完璧なんだろ」
 「まあ?私にかかれば出来ないことなんてないけど?やる気はない。全く無い。やらない。必要ない」

 もしかしたら物凄くむかつくかもしれない自慢げな言い方で言ったけれど、佐伯はどんだけ自信あんだよと笑って聞いてくれた。
 しかしやっぱり、佐伯瑛という男にお小言は付き物なのである。

 「でもな、そんなこと言ってたら嫁に行けないぞ」
 「だから私には必要ないんだって。佐伯君のように料理上手な人のところに嫁げばいいんです」
 「はあ?ってなんだ、お前俺に貰って欲しいのかよ」
 「あ、それ良いね。貰い手に勉強運動は絶対条件だし、佐伯君なら料理も出来て顔も良い。うわー、凄い幸せな未来」
 「は、お前望み高!勉強運動絶対条件って、そんなの俺くらいしか居ないな」
 「別に私としてはそんななくても良いんだけど、親としては欲しいみたいでいつも言ってる。壊れたテープレコーダー」
 「親に対してなんてことを。お父さんは悲しい」

 素の佐伯瑛はネタを引っ張り出す引き出しが多い。私はいちいち予想外のことにうっかり笑ってしまったりする。それを見て佐伯も笑う。笑いの循環。

 「いや、でもさ。本気で狙ってみるのもいいよね、佐伯君を。毎日かっこいい顔を拝んで美しい声を聞いて、美味すぎるコーヒーを淹れてもらう。……なにこれ、まずい、たまらん」
 「いやたまらんとか言うな、俺がたまらんから。毎日の顔をガン見してイイ声を聞いて美味すぎるの手料理を食う。……待て、良いなこれ」
 「なんか若干変な風に聞こえるところがあったのは無視して良いんだろうか。ついでに今までの話の流れでどうして手料理が出てくるわけ。毎日冷凍食品にしてやる」
 「うわ地獄だ一気に地獄だ。コーヒー淹れてやるんだから料理くらい良いだろ、俺ばっか報われない方向は許さん」
 「じゃあお金払うから。本格派な佐伯流メニューにはお代払うから。じゃなきゃ愛にしよう、愛に。溢れんばかりの愛をあげる」
 「……欲しいな、愛。じゃあ特別に愛で手を打ってやろう」
 「ってことは、本気で狙って良いってこと?いや狙っちゃうよ?いきなり手作り弁当してくるよ?食べてください!とか言っちゃうよ?勿論、ローテ回ってきたときだけだけど」
 「よし、解ってるな。存分に狙え。料理に関しては俺の評価は厳しいぞ。覚悟してかかるように」

 物凄い勢いで語りつくして、それで最後には笑う。ああ、話のネタに困ることなんか、もしかしたらないのかもしれない。ここまで漫才し通せるのだから。内容は冗談ではなく至って真面目だけれど、会話の顔があまりに軽々しくて、だけれどそれが楽しい。それに、多分神妙な面持ちで話し始めたらここまで話を発展させられなかっただろう。

 「あ、これ貰い。いっただっきまーす」
 「あ、おい、馬鹿、最後の!最後の一個!」
 「………………」
 「お前どうしてくれんだよ……っておい、どうした?」
 「…………いや、その。美味すぎると思うんですけど」
 「まあな、このくらい当たり前だ。……いや嘘。えーっと、……まじで?」
 「まじで。まじで。大マジ。すごい。どうしようこれ、本当に全力で狙うわ、佐伯君」

 目ざとく見つけた佐伯瑛の卵焼きを素早く奪い取り、口に放り込んだ私は絶句した。何か美味い。何かが美味い。こんなシンプルな料理なのに。是非ご教授願いたい。別に、つくらないけど。

 全力宣言した私は、壁に引っ付けられた時計を見て再び絶句した。授業が開始するまであと5分しかない。私としたことが、昼が長すぎたことにまったく気付かなかった。

 「……佐伯君。なんか、あと5分しかないみたいだよ」
 「はあ?!バッ、カ、何でもっと早く気付かなかったんだよ!そういう気配りもなんとかしなさい!それじゃあお嫁にいけません!お父さんはっ」
 「もう良いから急いだ方が身のためだって!ダッシュ!走れ!」

 弁当を特急で片付けて、身長の分リーチが長い佐伯より先に走り出す。校内を走ったことなんて、グラウンドで体育をするときだけしかなかった。真面目な生徒なのに、制服が捲れ上がるのも気にせずに走る走る。氷上君に怒られそうだ。
 中庭を4分の3くらい突っ切ると、遅れて佐伯が隣に並んだ。おお、速い。流石プリンス。なんてことを思っている場合じゃなかった。

 「お前遅い」

 ―――耳元で囁かれたかと思えば、片手を引っ掴まれた。

 「急ぐぞ!」

 その声と同時にスピードが急速に上がる。ついていけないくらいの速さに私はいっぱいいっぱいで、兎に角走ることに集中しようと思ったけれど、繋がれた手が気になるのは仕方がないことだった。誰かと手を繋ぐのなんか、普段起こり得ない話だ。
 ふと目の前を過ぎった蝶を何の気もなく目で追った。高く上がる。空が青くて、太陽が輝いていた。だからちょっと暑くて、それで汗ばんだてのひらが一緒になっている。

 ねえ佐伯君、今君は何を思ってるかな。
 私は、楽しいんだ。

 やっぱり青すぎる空には、眩暈がした。



―――青が見えるなら




200700829 ( What do you think? )