夢 を 告 げ る





「やっとお目覚めか、お姫様は」

低く響く声が白い室内に渡る。ドアの前に視線をやれば、褐色の肌に金色の髪。

「陛下」

ジェイドから嬉しい知らせを聞いて、舞い上がっていたのも束の間、すぐに重患だという事を思い知らされた。腹部の穴は塞がりきっておらず、無理をすれば腸が露出することだろう。すぐにでも訓練を始めたかったが流石に内臓やらを垂れ流しておいてはいくら自分でも死にかねない。

そんなことを危ぶんでとりあえずベッドに上体を起こしてジェイドとくだらない話をしていたが、思いがけない来客があった。我らがマルクト帝国を統べる者、ピオニー九世陛下。

「助かって良かったな、。まさかジェイドが助けに行くとは思わなかったが」
「……嫌味のつもりですか?陛下があまりにも無責任だったので向かっただけです。国の行く先が不安ですよ」

ピオニーがまさかの部分からゆっくりはっきりと言ったので、ジェイドが溜息混じりに返した。こう言うのがただの照れ隠しで、本当は私を見てくれていれば良いのに、とひとりで考えては結局落胆する。そんなことが、あるはずないのに、と。

一世一代の喜ぶべきことが起こったのに、いつまでも気を落としていてはと思考を掻き消す。何にせよ、夢ばかり見ていては何も始まらないのだ。努力して努力して、漸く力を認めてもらえて、今やっと願いが叶った。何もしないで手に入れようなんて、そんなのは叶うはずがない。私は、私のしてきたことは、間違っていなかった。確実に夢を現実にするための一歩だった。ブウサギの飼育係なんて無くても良い期間だったが。

ジェイドは執務がまだ残っているらしく、病室を出て行った。対するピオニーは王ともあろうに、そんな行動を起こさずベッドの傍にあった椅子に腰掛けた。

「調子はどうだ、胴体貫通って聞いてたが」

ピオニーは暖かい笑みを浮かべて言った。確かに王としての威厳はそこに存在し、ついていきたくなるような空気が彼にはあった。憎き司令塔でもそういうところがあるのは認める。しかし許しはしない。人生の一部分を無駄に過ごさせた男だ。

「動けば腸をお披露目することになります、陛下のペットの所為で」

皮肉めいた表情で吐き捨てれば、少しは気が落ち着くと思ったがしかし、逆に自己嫌悪に陥る。自分が勝手に怪我を負って帰って来ただけなのに。ピオニーの纏う空気はそういうものを己に思わせるところがある。言わなくてもいいことを。しかもピオニーが溺愛しているブウサギに責任を押し付けるとは身の程知らずだった。馬鹿馬鹿しいにも程があるが。

ピオニーはそんな言葉に嫌な顔ひとつせず、感心したように言う。

「……俺の所為にはしないんだな」

言葉が出なかった。

いつも考えはしないが、この王にも一応責任という言葉が載った辞書があるらしい。驚くのも失礼であるが、いつもがいつもなので正直な話そういう風に考える人間ではないと思っていた。何しろ目を見てお前はブウサギ係と任命するような奴だ、碌な人間じゃないと思っても無理ない。

「……しませんよ。私がブウサギを勝手に追って、勝手に死にそうになったんです。陛下が命じたわけでも何でもないですから」

そうだ。勝手に死にに行った人間が責任をなすりつけるのもどうかしている。仕事だからやらねばならないといって探したとしても、それをピオニーの所為にするほど自分は馬鹿ではない。

ピオニーは目を丸くして、その後笑った。声高に笑い続けるものだから腹が立つ。ジェイドにされたのも思い出して、私はどうにも理由をつけたがるらしいということが解った。理由が解らず笑われているのは不快だ。一緒に笑うなど言語道断。苛々が徐々に募っていくのを感じ、心の狭さを知って更に腹立たしかった。

「何が可笑しいんです?腹が立つので止めて頂けますか」

不快感を前面に押し出した言葉に、流石のピオニーも笑いを収めた。まだ笑い足り無そうで、無理矢理に堪えているような顔をしていたが、命が惜しいとでもいう風に押さえ込んでいた。あまり反省がないらしい。

どうにも自分の周りに居るお偉い様方は捻くれていたり自己中心的であったり、まともな人間が居ない。それでもどこか風格を漂わせている。それでもいざというときは、助けてくれる。そんなものだから困ったものだ。評価すべきかどうか迷うところである。

「やっぱりな。俺の目は確かだった」

可笑しそうに笑いを堪えるピオニーがそう漏らす。意味が解らない、そういうふうに訝る私にピオニーは笑みを濃くする。一人で話を進めて理解をしていられては、こちらは訳が解らないではないか。ほんの少し睨んでみると、やれやれとピオニーが漸く説明する気になったらしい。

「そういう奴だと思ったんだ、初めてお前を見た時。真面目でいい奴なのだと」

真っ直ぐな強い眼。誰にも媚びない、縋らない、清く潔い。責任感があって、そして努力を惜しまない。

「だから選んだ。傍に置いておきたかった」

笑いの含まれない、真面目な声色だった。真摯な態度で話しているピオニーを、私は今まで見たことがなかった。名のとおり牡丹の如く在るピオニーは、こういう顔も、こういう声も、今まで一度も見せたことは無かった。

「そのときからずっと、惹かれてたんだ」

花の王牡丹が、初めて見る真剣な王様に様変わりしていた。驚いた、でもそれだけだった。動揺もしなかったし、かといって急に愛を感じることも無かった。ただ、それだけだった。

思慕に眼を細める彼に、私は一体何を言って、何を返してやればいいのだろうか。彼が本当の話をしているのであれば、どうしたらいいのだろうか。私は報いることが出来ないと、それはどうしようもなく冷静に知っていた。

私には、憧れ尊敬する人がいると、昔から解っていた。

「それが本気であるとしても、残念ながら私は何もしてやれません」

冷たすぎる一言だったと、そう気付くのは閉口したあとだった。後悔、というのか。そういう思いが少しずつ湧き上がってくる。頭の片隅で、ああ、ジェイドもこういうふうに思っていたのかな、と思った。何も悪いことは言っていなくて、それでも自分が悪いような気がした。

ピオニーは私と目を合わせて、また暖かに笑った。傷付いたり悲しんだりした表情は微塵も浮かべず、当たり前のようにいつもの王様を演じて見せた。それが無理矢理なのか、本当にそういう思いなのかは解らないけれど。

「お前がいつもみたいに悪態づくだけで、俺は幸せなんだ」

椅子から立ち上がって、私の額に唇を落とす。名残惜しげに髪を撫でて、またあの笑顔を見せて、扉の向こうへと消えていった。その背中がどこか寂しげに見えて、やっぱりちゃんと考えてやればよかったのかもしれないと、空しくなる。ああ、貴方というひとは。どうして私を選んだのだろう。暖かい笑顔が返ってくる、その夢を踏み潰してしまった。

きっとこのまま、貴方はこの切なさを抱えてゆくのだろう。