眠りにおつき





ジェイドが何度か咳をしたので、まさかと思って体温計を無理矢理押し付けたら、案の定、彼は発熱していた。

「今日一日くらい休めって言ってんの」
「嫌だ、と何度も申しましたが」
「あのねえ……」

先程から一向に話が進まない。この状態で旅を続けるのは正直言って無理だと思うから、その事実は突きつけないまでも、とにかく身体を休めるべきだと主張するのが私だが、どうにもお互い人並み以上に頑固な性質だから、ジェイドは否定するまでで、意見が全く噛みあわない。

博識で頭が良くてその上強くて非の打ち所といえばちょっと捻くれた性格だけだけれど、嫌ですと繰り返すだけのジェイドは、いやいやとかぶりを振るこどもと何ら変わりはないのだろうと私は思って溜息をついた。ルークですら大人しく頷くだろうに。

続行しますと威勢よく言ったジェイドといえば、熱を帯びた顔に赤みが差し、どこかぼんやりして、このまま行けばそこらへんの雑魚にでもやられるんじゃないかというような様子で、彼の言う旅の続行などはっきり言って無理だ。無茶だ。無謀だ。いっそ足手纏いだ。

「皆だって悪い顔したりしないから。それに拗らせたりしたらそれこそ迷惑でしょうが」
「ですが、」
「良いから寝なさい」
「…………」

私が彼の発言を許さずに命令形で物申すと、ベッドの際に座っていたジェイドは、渋々ながら承諾したようで、のそのそとベッドに潜り込んだ。どう考えても鈍っているのに無茶を言う。

私はそれを何となく見て確認してから換気のために窓を半分開けて、それから暢気にコーヒーを淹れた。のんびり風邪っぴきのところへ戻ってみれば、暑いのか布団を半分しか掛けていなかった。ちゃんと掛けときなさいと一言飛ばせば、暑いんです、とうざったそうに顔にかかった髪を払いのけただけだったので、半ば無理矢理布団を肩まで着せこむと、眉間に皺を寄せられた。まるで母親のすることのようだと思ったが、私はこんな大きな子供は要らない。

「我慢しなさい」
「命令ばかりですね」
「……それも我慢しなさい。嫌ならもう少し大人しくしてなさい」
「ほら、また」

何かを見つけた子供のように言うけれど、馬鹿みたいですね、と言いながら苦笑した顔はどこまでも大人だった。弱りきってちからなくわらうのに何だか変な感じがした。いつも年下を弄り倒して遊んでいるような奴でもこんな風になったりするのだと、私もにがくわらった。

淹れたばかりのコーヒーを一口飲むと、私にも一口ください、とジェイドが病人の癖してせがんで来た。何を言っているんだ、この病気持ちが。私に風邪が移るだろう。そんなことを言ってやると、それもそうですねとあっさり諦めたけれど、視線は何となくずっとコーヒーカップを見つめていて、諦めきれていないのがありありと見て取れたので、暗い液体をカップに少しだけ残して彼に渡したら、身を起こして飲んで、空になったカップをさも当たり前のように私に渡した。

面倒くさいと思いながらも流しへそれを持っていって、それからタオルでも濡らして持っていってやるべきなのだろうが、私はそんなことしなくても治るもんは治るだろう、とそのまま手ぶらでジェイドの寝るベッドの横にある椅子に座る。

「気の利かないひとですね」
「元々看病してやる言われもないんだから別に良いでしょ」

それは確かに、と言ったジェイドの汗の滲んだ額に手を当てると、相変わらず熱はそこに燻っていた。ジェイドは目を細めて、冷たいですね、と呟いた。掌に尋常ではない体温が伝わる。

このまま少しずつジェイドの熱が上がっていって、そして死んでしまったらどうしようか。とりあえず旅に支障が出るのは目に見えている。戦力としても大きく削がれることになるし、パーティの士気が下がるどころかどんよりしみったれた旅になること間違いない。いや、それで済むなら良いほうだろうか。あんまりにジェイドに思い入れがある馬鹿者は、うっかり再起不能で置いてけぼり食らうかもしれない。

それが私でないことを祈るけれど。

「そういえば、何故貴方は此処に居るんですか」
「どう見ても病人の様子見でしょうが。暑いだなんだと駄々捏ねるし出て行ったら何してるか解りゃしないけど、嫌なら消えてやっても」
「別に消えろとは言ってません」
「じゃあどうしろと」
「…………此処に居てください」

ジェイドの掌が、彼の額の上にある私のそれに重ねられる。熱を持ったてのひらはあっという間に私の手の冷たさを奪っていく。

「これじゃあんまりに暇ですから」
「あのさ、一言余計だと思わない?」

珍しく可愛げのある発言をしたかと思えば、暇だから、という理由をくっつけてくるその性格に溜息をつく。照れ隠しとか、そういうのだったら良いのだけれど。ジェイドにとって単なる旅仲間である私は、本当に暇潰しの相手なのかもしれない。

「口が達者な貴方なら暇潰しにもなるでしょう。……最近、年下いびりもマンネリ化してて面白味が」

まったくいつまでも同じというのは案外飽きるものですね、とジェイドが言う。それは明らかに年老いたということではないのだろうか。なんだか色々と疲れていそうだ。何事にも面白味を感じなくなってきたら割と危険な兆候である。

「私だってこんな道中新ネタ仕入れられないんだけど。はい今度は左手」

ジェイドの額と掌にサンドされてすっかり血の巡りが良くなった右手を抜いて冷たい左手に置き換える。冷え性はこういうときに便利だ。態々タオルを持ってくる必要がない。単なるものぐさなのだが。

「私はこういう会話もそれなりに楽しめる人種ですよ。まあ常に新しい刺激が人間には必要ですから適当に仕入れてきてくれると嬉しいですがね」

ジェイドが私の手の上に乗せていたそれを下ろして小さく息をつき、気持ちよさげに目を伏せる。睫が長くて小憎たらしい。真っ白い肌が今回ばかりは赤みを帯びている。

早く良くなると良い。張り合いがなくなるとか、よくそういうことを言ったりするけれど、別にそういうわけではなく(張り合いたくなどないし)、これはただの気遣いだ。心配しているだなんてことを言ったら鼻で笑われたりするのだろうか。

「眠くない?」
「ないですよ」

目を伏せてどこかぼうっとしている様子だったので問うと、目だけを動かしてちらりとこちらを見たジェイドはまた視線を戻す。どこからどう見ても誰がどう見ても眠そうだ。眠ったって別に私はナイフ隠し持ってましたなんて展開にしやしないし、ドッキリを目論んだりしないのだが。

額の上の掌をスライドさせて目を覆う。掌に睫が当たって数度瞬きをしたのがくすぐったく解る。

「何ですか」
「寝て良いよってこと」
「大丈夫です。勿体無いでしょう」
「何が」
「貴方が居るのに寝て過ごす時間が」
「…………それは良い意味で捉えても?」
「ええどうぞ」

―――どうしてくれるのだ、私がときめいたりしてしまったら。

耳の奥が脈打った。低く訊き慣れた声の余韻が残る。そんなことを言われたことなどはっきり言って一度もないし、その上ジェイドは私にとって特別な存在なのである。好きか嫌いかを訊かれたら、そりゃ好きと答える感じの。

「今動揺したでしょう」
「は、何言ってん、」
「若干反応した手が今や冷たくないんですが」
「……反応してないし冷たくないのはあんたの熱の所為でしょうが?」
「どうだか」
「(こいつ……!)」

絶対に内心舞い上がったのがばれた。かっと顔に血が集まる。手でジェイドの目を覆っているからそれだけは気付かれないはずだけれど、たった一言で軽く動揺したのを見破られてしまったので精神的に何も変わらない。

最早冷え性は何処へやらという手を引っ込めてジェイドが身体を横たえているベッドに突っ伏して、腕の中へ顔を隠す。何なんだ。立派な年下いびりだ、これだって。私は今まで弄られてなかったからマンネリズムとは言えないけれど。

「可愛いですね」

見なくてもジェイドの唇が弧を描いていることが解る自分に歯噛みする。ジェイドの暖かいてのひらが私の頭を撫でる。やめろ、そんなことを言うな、そんな風に触るな。体温が上昇するのが解る。私が説教食らわす役だったはずなのに、いつの間にかジェイドが精神的に優位に立っている。

「……ルークの気持ちが解った」
「おや、そうですか。私は久しぶりに楽しいです」
「もう出来るだけ近付かないようにする、絶対する」

ぼそっと呟いた私に嬉々としてジェイドは言う。私はぎゅっとシーツを握り締めて決意する。からかいやすい人間というのはいるものだが、その分類に私も入ってしまうのは不本意かつ断固拒否する。

「まあまあ機嫌を直してください、もうしませんから」

私の頭を撫でながらジェイドが言う。声音が優しいのでドキッとする。今までジェイドのこんな声を聞いたことはなかった。得した気分、ではあるがからかわれたのはどう考えても頂けない。

もう顔が赤くなっていることくらいジェイドにはお見通しだろう、顔を上げて、撫でるのをやめたジェイドの手を両手で握る。自分とまったくつくりが違う。この手で、戦ってきたのだ。何度も私たちを助けてくれた手。

「早く良くなってよ」

鼻で笑われるかもしれないと先程考えたことを口にする。祈るように左右の五指を組んで、額をつける。私にされるがままだったジェイドの暖かい手が少し力を入れた。神様、くだらない、と嗤われませんように。

「貴方の頼みなら少しくらい聞いてやりましょうか」

赤い目が優しく笑った。




20071009