Radiator





何も疎んじてなど、いなかった。嫌ってなどいなかった。要らないと思ったことだってなかったし、邪魔だと感じたことだって一度もなかった。それは、信じてなどいないが、神に誓っても。

「私の所為だとでも言いたげですね」

ジェイドは私が何も言わないうちからそう言い当てて、すぐに笑顔の仮面を被った。

「事実そうでしょ」

私は真似をするつもりなどなかったが、ジェイドと同じように笑った。つまりそれは、あの腹の立つ笑顔である。

数分前、私はこの性悪とではなく、ルークと一緒に居たのだが、私はもともと上手く相手の話に乗れない性質なので、何かとクールだとか、無口だとかいうイメージを持たれてしまい、それはルークから持たれている印象も例外ではなかった。そして盛り上がらない話、降下するテンション。それが『何なんだこいつは』で済めばいいのだが、卑屈なルークは居心地の悪い空気を自分の所為だと思い込んでしまった。私に嫌われている、と思い込んでしまったのだ。

「どうしてそうなるんですか」

興味深げにジェイドが問う。ジェイドは『どうして二者間の問題に第三者の自分が巻き込まれるのか』というのを聞きたいに違いない。私の言い分は、『ルークは元来我侭で傲慢で卑屈な奴ではない』、そして彼が卑屈になった原因は『自分はレプリカである』という意識だ、ということだ。レプリカとは、この性悪が発明したフォミクリー技術によるものである。従って、私がルークに嫌われたのはジェイドの所為、と言いたい。大分こじ付けで、殆どめちゃくちゃな話だと解ってはいるが、とりあえず責任転嫁がしたかったのであった。……というのをジェイドに話すと、案の定奴は鼻で笑った。

「随分根元まで突き詰めてきますねえ。お仕置きが必要ですか」
「済みません明らかに自分の所為です」

ジェイドの笑みが深くなったのを境に態度を豹変させるのは、もはや日常茶飯事であった。遠くで笑いあっているアニスやガイは、こっちで凍りつくようなやり取りが繰り広げられているなんて知らないで大層楽しそうだ。まあ、知ったこっちゃないだろう。

「言っている事は筋が通りませんが、まあ……その話を持ち出されると手が出せませんね」

向こうの方へ視線を向けていた私に対して、ジェイドが呟くように言った。いつの間にかジェイドの顔に浮かんでいる表情は、普段の笑みではなくて、完全に苦笑だった。そして私は自己嫌悪に陥るのだ。フォミクリーに関しては、簡単に触れてはいけないことだったのである。まずかったな、と思ってジェイドを見遣ると、ぼすんと大きな掌が私の頭に被さった。

「貴方が気にすることはありませんよ」

ジェイドがまるで父親かというように私の頭に手を乗せて言った。奴はこうして話を終わらせる。こうしてさらりとかわしていく。しかし私は知っているのだ。こう言いながら、何でもない振りをしながら、きっと途轍もない罪悪を感じていることを。

ジェイドは私の頭から手を下ろして、それからアニス達の方を見た。何を思って見ているのかが解らないのが空しい。溜息をつきたくなる。触れるべきではない部分に踏み込んだのだから謝るべきなのであろうが、ごめんなさいと謝れれば今すぐに謝っているだろう。そうすればきっとぐだぐだ悩む必要も何もないはずだが、生憎そうそう素直な性格ではなく、更に話を打ち切られてしまっては口の挟みようがないのである。視線でそんな気持ちを訴えてみるものの、奴の態度は変わらないらしい。

「貴方は仲間と仲良く楽しく敵を倒して旅を続けていれば良いんです」

余計なことを考えずに。そう付け加えるジェイドは、まったくもって悲しい奴だ。フォミクリーも、過去も。自分のことになるとすぐに目を逸らすのだ。言葉にも態度にも出さず、踏み入れないで欲しいと哀願するのだ。手を差し伸べられることを遠まわしに拒否するのだ。たった今までそんなことなどこれっぽっちも意識せずに私は居たが、こうやって気付けば、私はそれが悲しいと思う。

知らず知らずのうちに遠ざけられていると、誰も知らない。だから誰も救いの手を差し伸べない。だったら、そうやって生きているおまえを、一体誰がたすけるというのだ。

「余計なことだと思ったら、自分から考えるのは放棄するよ」

打ち切られたのに納得が行かない私は、結局口を出してしまう。しなければそれで終わって、何もなかったことになって、それで良いはずなのに、うざったい奴にならずに済むのに、それでも口を開いたのは、やっぱり見逃したらいけないからだ。誰も癒してはくれない苦しみを、気付いた私が、見過ごしてしまってはならないからだ。私は彼を傷つけてしまったかもしれないけれど、傷付けた事実を知って、彼がそう望むのなら、私は何度だって謝ろう。そして今度はしっかり手を差し伸べなくてはならない。

ねえ、ジェイド。態々辛い思いをして考え事をしたいとは誰しも思わないし、本当に余計なことなら、そのうち忘れてしまうだろう。それどころか、気にも留めないのだろう。だから、私が考えていることは、きっと無駄なんかじゃないはずだ。ちゃんと、考えているのだから。考えずに居られないのだから。

「触れるべきでないところに触れたのは、謝る。ごめん。それでこれは終わらせる」
「ええ、そうしてください」
「だけど、そうやって目の前の人間から逃げるのは納得出来ない」

ジェイドが投げやりに返事をしたかと思えば、私の言葉に対し、眉間に皺を寄せた。私はずっとお前の前に居るのに、一度だって本音を見たことがないよ、ジェイド。

「何が言いたいんですか?」

ジェイドが訝しげに私を見遣って言うが、不機嫌な色がその目に滲んでいた。その瞬間に、この分じゃやっぱり奴の心を開くことは、私では出来ないかもしれない、と思う。それでも、それを諦めるわけにはいかないけれど。ジェイドに頼ってもらえるまでは。彼にとっては迷惑以外の何物でもない、かもしれないけれど、もしかしたらそうではなくて、助けて欲しいと思っているかもしれない。後者は私の希望でしかないが。

「辛い時は辛いって言って欲しい」
「……いきなり何の話ですか」
「嬉しい時は嬉しいと言って欲しいし、愚痴だって聞きたい」
「…………」

ジェイドが黙る。遠くの楽しげな声は、相変わらず楽しげだった。ジェイドがそんな中に混ざりようがなく、どこか孤立した存在だということに、私は今までどうして気が付かなかったのだろう。誰一人として、彼と腹を割って話したことは多分ないだろう。それを見つけたからには、彼を引き上げる役目は私が負うべきだし、何だって受け止めるから、だから本音を教えて欲しい。

「責めたりしないよ、だから、」

放っておけばいいのに。拒まれたのだから、そのとおりにすればいいのに。私は一体何をそんなに必死になっているのだろう。何故そんなに必死になる必要があるのだろう。それはきっと正義感による義務感だけではない。

「本音を言ったところで、何か上手く行くんですか。軽蔑されるだけでしょう」

冷たい口調だった。それでもこれは、多分本音だろう。初めて言葉に、態度に拒否の意思を表したのだ。打ちのめされるどころか、反対に嬉しくなるのは末期かもしれない。そこまで懸命になれるのは、―――まあ、予想出来なくもない。私は多分、この可哀想な男が。

「軽蔑なんかしないって。とりあえず、私は嬉しくなる!」

努めて明るく言う。どうにかこうにか心を開いてもらわねば。ガッツポーズを決めるくらいの勢いで言うと、ジェイドは一瞬ぽかんと私を見た。想定外だったらしい。あまりに不思議そうな顔である。忘れたように、彼の顔から不機嫌がどこかへ飛んでいく。待て、そんなに私の台詞はおかしいものだったか。私の顔をまじまじ見て、それからジェイドは片手で顔を覆った。

「…………ジェイド?」

奴は答えない。表情も手で覆われている。置いてけぼりを食らう私は内心疑問符を飛ばす。それからよくよくジェイドを観察してみれば、奴の肩が小刻みに揺れていた。

「……あの」
、貴方って人は、」

ジェイドの声が震えている。まさか。まさか、感動して泣いているのでは。期待が膨らむ。私の言葉が、ついに届いたか!そんなことを胸に、ごくりと唾を飲む。ジェイドの顔を覆っていた手が下ろされる。

「……本当に変な人ですね」

期待を裏切って、なんとジェイドは笑っていた。それも、心底可笑しそうに。

「…………」
「何ですか。まじまじ見て」
「…………、へ、へ、変って言うな!」

どもりながら反駁する。ジェイドがあまりにも綺麗な顔で笑うから、つい驚いたり見惚れたりで忙しく、長い間が開いてしまった。泣いているのかと思って期待した。期待は外れた。だがしかし、ジェイドが。なんとジェイドが、ジェイドが笑ったのだ。そりゃいつも笑っているといえば笑ってはいるけれど、そうじゃなくて、本当に、『笑った』のだ。笑ってくれたのだ。思わず頬が緩む。

「にやにやしないでください。気持ちが悪い」

皮肉が復活した。さっきまで不機嫌でドライだったジェイドは、もはやどこにも居なかった。これは、これはその、良いのだろうか。奴が少しは心を開いたと思っても、良いのだろうか。

「……話してくれる気になったの?」
「…………そうとってくださっても構いません」

飄々としているのかと思えばそうでもないらしく、咳払いをしてジェイドが言った。奴が笑っているところを私があまりにもじっと見ていたものだから、どうやら照れているらしい。それを見て思わず笑う。それにしても嬉しい。心を閉ざしていたことを知らなかったとはいえ、あのジェイドが心から笑うなんてそうそう見られるもんじゃないだろう。フォミクリーについて突っ込んだのは失言ではあったが、結果的に得をしたとほくそ笑むのは、人間として仕方があるまい。

「写真撮っておけば良かったなあ」
「趣味が悪いですよ」
「知ってます。そんなことより心の窓を開けた私に対して何か言うことはないんですか」
「一体何を言って欲しいんですか?」
「…………」
「……解りました」

惚けるジェイドを軽く睨む。まるで見当も付かないという顔をしやがるのを無言で制すると、やれやれと呆れたような顔をしてジェイドが笑む。どうして今までそうやって笑わなかった、勿体無い。本当に、綺麗に笑う奴だったんだ、と今更知った。見惚れるなんてことがあるんだ、と初めて思った。ずっと聞こえていたはずの遠くの楽しげな声が、聞こえない。

「……ありがとう」

それは優しい笑みだった。こんな顔をするだなんて、今の今まで知らなかったよ、ジェイド。

「どういたしまして」

そして漸く私は、本当にジェイドが好きだと知った。




20070203