レインコートと飴玉
ローレライのことを調べるためにセントビナーへ行ったというアッシュを追うため、ダアトからセントビナーへ発つことになったが、回復用の道具などが不足している関係で、一時ダアトで足を止めることとなった。疲労が溜まっていたのもあり、小一時間休憩をすることとした。
ダアトに来た時にはまだもっていたが、教会を出た頃にはもう雨が降り出していた。小雨なので、傘をさすほどではないが、このあと雨脚が強くなりそうだった。
不足していた道具はそれほど荷物になるものではなく、買い出しに人数は要らなかったので、私とナタリアで店へ向かうことになった。
他のメンバーは各々自由行動としたが、天候の具合を見て、おおよそ教会で雨を凌ぐようだ。
「雨が強くなる前に済ませてしまいましょう」
ナタリアが空を見上げて言う。本格的に雨が降り出してからでは濡れてしまうので、私は今のうちにレインコートを羽織いながら、そうだね、と返事をして、足早に店先に向かった。
この天気のせいか、商店街に人影は疎らだった。いらっしゃい、という店主の声に軽く会釈をして、各種グミ、ライフボトル等を選んでいきながら、ふと、色とりどりの綺麗な球体が詰まった可愛らしい箱が目に入る。どうやら飴玉が入っているらしい。晴れていれば光が当たって綺麗だろうが、どんよりとした空の下でも不思議と目を引いた。あるいは、こんな天気だからこそ、だろうか。
きらきらと光を透かす飴玉を思い浮かべながら、同時に優しい笑顔が目に浮かんだ。飴玉でなせイオンを思い出すのだろう。それは分からないが、一緒に食べたら美味しいだろうな、と思う。いや、飴に限らず、イオンと一緒なら、何でも美味しいんだと思う。一緒にいたい相手だから、多分、何をしていても思い出してしまうだけだ。
「何を見ているんですの？」
「え？」
飴の入った箱を見つめていると、隣の店で買い物を済ませたナタリアがひょっこり現れた。飴だよ、と伝えると彼女は、まあ、綺麗ですわね、と目を輝かせた。
「あの、これもください」
未だ脳裏にちらつく優しい緑色を振り払いながら、店主に代金を渡すと、店主はにっこりと笑って品物と引き換えてくれた。
「まいどあり！雨が強くなってきたから気をつけなよ」
店主に礼を述べて、店先を後にする。あっという間に本格的に降り出したみたいだ。レインコートのフードを目深に被ると、ナタリアも同じくしっかりとお揃いのものを着こんだ。
「おかえりなさい」
教会に入ると、柔らかな声がかけられた。もう、顔を見なくても分かる。イオンだ。ただいま、と返しその顔を見ると、優しげな表情が浮かんでいた。
いつでもにこやかに迎えてくれるイオンが好きだ。優しい笑みも、控えめな微笑みも、時として儚く見えるその姿も。
「わたくしはルークのところへ買ったものを預けに参ります。あなたはゆっくりなさいませ」
ナタリアが、私が買った分も受け取って、ウインクした。上手くやりなさい、と言っているんだろう。飴玉を眺めているだけでも気持ちが筒抜けとは、まったくもって、長い付き合いというのは恐ろしい。かっと頬が熱くなるのを感じた。
「休憩していくんだそうですね。発つ前に顔を見られて良かった」
ナタリアの背中を見送ったイオンが、こちらを向いて微笑んだ。私の大好きな笑顔だ。つられるようにして私の表情も緩むのを感じた。
「うん。あのね、さっき綺麗なのを見つけたの」
レインコートを脱いで、鞄を開けて先ほど購入した箱を取り出す。レインコートは濡れていたが、早くイオンに例の物を見せたくて、鞄に引っかけてしまった。イオンは、なんだろう、という顔をして、可愛らしい箱ですね、と言った。私が箱の蓋を開けると、イオンの瞳がきらりと輝いた。あ、飴玉みたい。
「わあ、飴ですか？」
深い緑色をした瞳が箱からこちらへ向いた。
「うん、イオンと一緒に食べたくて、買っちゃった」
あはは、と照れ笑いして言うと、彼はふわっと笑ったから、私はどぎまぎしてしまう。とっても可愛らしい笑顔なものだから、どっちが女か分からないな、なんてことを思う。箱の中の飴玉には透明な包みがしてあったので、それをを開けてイオンに差し出すと、白い指が一粒攫っていった。
「あなたの瞳の色に似ています」
壁の音素灯から漏れる光に透かしながら、彼はそんなことを言った。彼の指先できらっと光を反射した飴玉は、数秒したのち、彼の唇のその先に転がっていった。目が彼を追って放さないから、黙って見つめていた。私の視線を受けた彼は、照れたようにはにかんで、食べないんですか、おいしいですよ、と言う。
イオンには言わなかったけれど、彼に倣って、彼の瞳に似た飴玉を、光に翳した。きらきらして美しい。美しくて、切ない。もうすぐダアトを発つのだという事実が頭の中にふらっとやって来て、なんだか急に不安になったから、音素灯の下に座り込んで、その球体をそっと口に含んだ。控えめな甘さを感じたら、じわりと唾液がその味を広げた。
「もう少し、近くに行っても良いですか？」
イオンが言った。彼の顔に気遣う色が見て取れた。私は考えていることが顔に出やすいのかしら、と思う。
私が頷くと、彼は私のすぐ右隣に、私のように腰を下ろして壁に背を預けた。とても近い。肩が触れ合いそうなくらい。右半身が、イオンの熱で暖かい気がする。だけど本当は、自分が熱くなっているだけなんじゃないかと疑う。
イオンは私の手から飴の入った箱を攫って、蓋を閉め、そっと脇に置いた。それから、そっと私の手を取った。
「僕はいつでもあなたのことを思っています」
きっと無事で戻ってきてくださいね。優しい顔をしているのに、目は真剣な色を帯びていた。真っ直ぐに見つめられたから、私はイオンの手をぎゅっと握り返した。私は大丈夫だよ、みんなが居るんだもの。イオンの方が、ずっとずっと心配だよ。
「ねえ、ぎゅってして良い？」
どんどん増してくる不安を、蹴散らしたい。イオンはここにいるんだって、大丈夫なんだって、確かめたい。イオンはもちろんです、と言って、そっと私を包んだ。私がイオンよりもっとずっと強い力で抱き返すと、イオンの腕もぐっとその力を強くしてくれた。暖かくて、安心して、少し涙が出そうになる。私は、ずっとこのままでいたいと思う。イオンは、違うのかな。
私たちは暫く、教会の隅で抱き合ったままでいた。今日の教会はがらんどうで、人目もない。みんなは大聖堂にいるとイオンから聞いたから、みんながその扉を開けたときには、もう離れなければならない。あと1時間、あと10分、あと10秒、あと1秒ください。祈っても祈っても、その時は来る。嫌だけど、ギギ、と扉の開く音がした。
イオンが、私の髪にそっと唇を落とした。まるで、お別れだというように。
「さあ、出発の準備を」
イオンがさっと私から離れた。それだけなのに、もうこの時は永遠に来ない気がした。
鞄に引っかけてあったレインコートの滴はまだ残っていて、なんだか泣いているように見える。本当は、私が泣きたかっただけ。
本当のお別れは、もうすぐ傍まで来ていた。
『雨関連の五題』Stitch wounds
2015/04/23