きっとifでは終わらせない

 もしも私に美しく長い黒髪と睫、なによりその整ったかんばせがあったのなら。
 言っても思っても考えてもしょうがないようなこと、すなわちifの世界、仮定について思い悩むのは、人間の特権であり、しかしながら人間は多くの場合において、その特権を決して良い意味で捉えない大変勝手な生き物である。
 「……なにゆえ神様は私に、輝くばかりの美貌を授けてくださらんのかね」
 言ったのち、溜息。視線の先にはユーリ・ローウェル。道具屋での買出しを奴に任せ、それ以外の面子、すなわちエステル、カロル、リタ、レイヴン、ジュディスとベンチで駄弁っている際、ふと道具屋方面を見てみれば、女子に囲まれ、いわゆる逆ナンをされているユーリを発見し、私は今絶望に暮れているところだ。
 「どーしてよ?十分可愛らしいじゃないの」
 「そりゃどーも」
 レイヴンは、大体においてそういうことを言うので、今日も今日とて流すに限るわけであるが、
 「私もそう思います」
 エステルが言うと、大体において嬉しく思うのは、恐らく人徳の差であろう。とはいえ、今回ばかりはそうもいかないのである。なぜなら、私が求めているのがちょっとの美貌ではなく、街を歩けば誰もが振り返るような美貌であるから。
 「私は生まれてこのかた、あんなに囲まれてナンパされたことがない」
 かっと目を見開いて言う私に、エステルがきょとんとする。ユーリに出来て、私に出来ないことなんてものは、数え切れないほどあるし、まあ人には得手不得手があるのであるから、別段気にすることも無かったのであるが、考えてみれば私はこの人生の恋愛において、上手いこと事を運べた試しがなく、おおよそ百戦錬磨であろうユーリとかいう奴を見ていたら、(特に逆ナンされるところを見ていたら、)あまりの屈辱と羨望が私の胸に爆弾を投下していったのであった。
 「あの美しさを、色気を持っていれば、これまでの人生もう少し華やいだに違いない……」
 ぎりぎりと奥歯を噛み締める私を見て、ジュディスがくすくす笑っていることなど、聞かなかったことにする。お前のような美人さんにはわかるめえ。
 「つまりナンパされたいってこと?あたしはてっきりあいつをナンパしてる女どもに嫉妬してるのかと思ったわ」
 「そんな可愛いもんでなくてサーセン。……はっ、もしやこういう可愛くない私の性格に問題がっ?」
 「一理あるわね」
 「………………」
 リタが言うことは、しばしば心にどでかい傷跡を残していくわけだが、おそらく本人に自覚というものはないんだろうな。何せ私のことを強靭な精神の持ち主だと思っているようだし、この柔なハートを理解してくれる人間など居ないと思って今後生きていくことをここに固く誓っておこう。悲しくなるから。
 「あなた、今のままで十分だと思うわよ?」
 内心悲しみに暮れる私に、ジュディスがやさしい言葉を掛ける。これは何か?哀れみか?あきらめろっていうことか?
 「ええ、ええそうですね。一度くらい、もてにもてて悪い女を演じてみたいんだけど、私にゃ無理って話ですよね知ってます」
 「そうじゃなくってさ、ジュディスはがみんなに愛されてるからこのままでも良いって言ってるんだよ」
 「えっ」
 ぶつくさ言う自分は本当にどこからどう見ても可愛くない女ナンバーワンに輝きそうなものだったが、今まで話を聞いていただけだったカロルが思いがけないことを言う。自分のことを卑下していただけに驚きを隠せない。え、何この展開。私想像してなかった。
 「僕ものこと好きだし、エステルもリタもそうでしょ?」
 「はい!」
 「……まあそう言えなくもないわね」
 「お……おまえら……!」
 カロルの言葉にエステル、リタともに同意する。思わず出かかった感動の涙を堪え、言葉とともに全員まとめて抱きしめる。なんという優しい仲間たちなんだ、おじさんさっきリタに言われた言葉も許しちゃう。しかしまあ、リタまでそんなことを言ってくれるとは思っていなかった、とは折角口にしてくれた彼女に対して酷なので、心の中で噛み締めることにする。
 「なにやってんだおまえら」
 「あ、ユーリおかえり」
 背後からふと声がしたかと思えば、腕の中のカロルの発した一声が、ユーリ帰還だと私に知らせた。このやろう、感動のシーンを邪魔しやがって。
 「ふぅん、羨ましいことしてんな、俺にはねえの?」
 振り向かない私の耳元でユーリがささやく。甘い低音に全身が総毛立つ。ここでぎゃーとか言ったらユーリの思う壺なんだろうな、と考えると例の雪辱と羨望が湧き上がってきて、意地でも抵抗してやろうと負けず嫌いに火がつく。
 「ったらね、さっきあなたが女の子たちに囲まれていて、彼女たちに嫉妬してたのよ」
 「へえ、そりゃ光栄だ」
 「えっ、ちょっ、ちがっ、……ジュディス貴様……」
 折角鳥肌に耐えてユーリを無視したのに、ジュディスがあらぬことをユーリに吹き込む。ばかやろう、こいつ、調子に乗るじゃないか!私冒頭から言い続けてるけど、おもちゃにしたい側であって、されるのは断固として拒否する派なんだおまえら覚えてる?覚えててやってる?
 ジュディスへと睨みを利かせてみるも、それが上手く行った試しは一度もなかったこれまでの経験から、まあ今回も同様であることになんら変わりはなかった。にこにこ笑ってんじゃないよそこの綺麗なお姉さん。
 「ちょっと首吊ってくるわ……」
 「あら駄目よ、ちゃあんと素直にならなくっちゃ」
 ふらりと去ろうとすると、ジュディスががっしり肩を掴んでくる。やめてくれ、マジで骨折しそう。主に心が。
 「……カロル先生、これのどこが愛されてんのさ」
 「いや、えっと、その……さあ?」
 「!!!」
 裏切られた。リタに何か言われた時よりショックでかい。大ダメージ過ぎて骨折どころじゃ済みそうにない。なんでこんなに心ずたぼろにされなきゃならないんだ。美貌どうこうの絶望よりよっぽど痛いんだけれども。そこんとこ、さっき良いこと言ったカロルなら解っててくれたって良いと思うんだけれども。
 「まあまあ、大人しく抱き締められちゃえばいいじゃない」
 ジュディスがにこにこ笑って言う。美人さんが楽しそうならそりゃ言うこと聞きたくもなるけれども、ジュディスとは私、一生会話が出来ないんじゃないかな。今強く確信したよ。そもそも私が抱き締めるんじゃねーのかよ。されるがまますぎで流石の私も涙目だぞ。人間不信に陥っても原因は明らかだね。
 「そうそう、可愛いこと言ってっからこんなことになるんだぞ」
 言ってねえよ。ユーリのボケに突っ込む気力もなく、心の中だけでそのお笑い魂は力尽きた。きっと今鏡で自分の顔を見たら、最悪の顔色で力なく笑っていることだろう。
 ハハハと心の篭らない笑いを漏らしている間に、ユーリがぐいっと私を引き寄せた。本当にやるのかよ!鼻がユーリの胸に当たって鼻血が出ることだけは避けなければ、と顔を横に向ける。とにかく抵抗せねば、と思うも、抵抗しようとする前に、ユーリの胸に当てられた耳へと心拍が伝わる。乱れなし。―――私は?
 「うわ、耳まで真っ赤」
 ユーリが頭上で呟く。嫌だ嫌だ嫌だ。知られたくない。ユーリの腕の中で縮こまって、その胸へと顔をうずめる。抵抗できるほど、自分には力が無いことは、彼の腕の強さから明確だった。ユーリに出来て、私に、出来ないこと。
 「……離してよ」
 本当はどきどきしてる。上手く声を出せなくて、小声で言った。自分の声じゃないみたいだ。だけど自分らしいな、とも思う。こうやって、柔な心がいつも私を邪魔してきた。上手く行かないのは、美貌どうこうじゃなかった。そんなこと、本当はわかっていた。
 「んー、なんで?」
 ユーリの声が優しい。私は自分がみっともなくて、泣きたくなる。余裕があれば、もっと強ければ、もっともっと、強ければ。それは、ifの世界の話なんだろうか。
 好きだって言えたら、本当はちょっと嫉妬もしたんだって言えたら、私はもっと可愛くなれて、今度こそ愛されるのだろうか。
 「……やめてよ」
 か細い声で言う。可愛いことなんて、やっぱり言えない。こうやって、可愛くない人間で居ることが、楽だから。同時に辛いのも、知っているけれど。
 「好きだ」
 「えっ」
 ユーリが、本当に耳元で、唇が耳に触れそうなところで、他の誰にも聞こえないようにささやいた。予想だにしなかったので、聞き返す。心拍数が上がる。めまいがする。
 「俺だって素直じゃないんだ、こんな恥ずかしいことは1度しか言わねえって」
 思わず見上げると、ユーリはそっぽを向いて呟く。耳まで真っ赤なのは、ユーリも同じだった。顔に出ないタイプなのに珍しいものを見たなと思い、こっそり笑う。
 「なーに笑ってんだよ」
 笑っているのがばれて、ユーリに額を小突かれる。なんだ、と思う。私を好きでいてくれる人が、ちゃんと居るんだ。
 ユーリの腕の力が緩み、その隙をついてそこから抜け出し、解放されて、嬉しくなった私はエステルまで駆けていって思いっきり抱きつく。慌てるエステルにおかしくなって噴出しかけるも耐える。
 「こりゃあれっきとしたいじめだよね、エステル。カロルにも裏切られて私の心はずたぼろさ!」
 「え、うーんと、そうなんです?」
 「おかしいわね、その割に嬉しそうじゃない?あなた」
 「うーん、私もひとつ成長したというところかね、ジュディス君」
 「あら、それならよかったわ」
 ジュディスがくすくす笑う。ちら、とユーリを見遣るとばっちり目が合う。瞬間的にユーリの頬が朱に染まって、そっぽを向く。私はまたこっそり笑う。
 成長した、と言えれば良い。いいや、成長するんだ。きっと強くなって、次は私が言うよ、ユーリ。誰もが振り向くような人間になれなくても、たくさんのひとに愛されなくても、きみだけには、もっと好きでいてもらえるように。

2009-9-22 脱稿
久々にギャグでもかまそうかと思ったのに中途半端に終わって屈辱(笑)

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