SOS団という、奇妙奇天烈な珍団体に目をつけられ、仲間にされ、一クラスメイトに対する猛烈な反省を経て、早くも1週間が経った。今日は金曜日だった。ところが休み時間の間に、 「―――というわけで、明日9時に駅前集合ね。遅れたら死刑だから!」 そういうわけで花の金曜日は、その形容を変えなければならなくなった。 私は死亡理由が遅刻というあまりに酷い末路を迎えるのはご免だった。ご免ではあるが、それを受け入れるしかない状況が、目に浮かぶのだった。眠りこけている自分が一番容易に想像できた。 それについては今のうちに適当に神様に祈りを捧げておくことにして、とりあえず今はルーズリーフに向かうことが最優先だった。 「今日なんかぱっとしないなー、古泉君が居ないなんて。大丈夫かな」 古泉一樹は風邪で欠席なのである。 「どうだろうねえ」 私はルーズリーフにごちゃごちゃと解説を書き始める。もちろん今日の授業のだ。私はちゃんと、古泉に親切をすると決めた。 「どうだろうって、心配じゃないの?」 友人Aである知美は、「酷い」と言わんばかりの表情で私を見る。お前のような古泉オタクは勝手に心配していろ、と内心で毒づく。ひたすらシャーペンを走らせる私は、キョンが言ったように『良い奴』になっているのだろうか。心の中でぶちぶち言っているというのにな。 「私は大丈夫かどうかという問いに対してそう言っただけです」 「ふーん。…………あ、心配してないわけないよね」 ふとルーズリーフに目をやった知美が言った。知美はニヤニヤしている。どうやらこれが古泉のものだと確信したらしい。 「これは我らが団長に命じられたからだけど」 何もないように私はそう言ったが、そんなのはまるっきり嘘である。とりあえず知美になめられているような状況は避けたかっただけだ。此処最近ご無沙汰の苛々が、ふっと沸きあがってきそうだった。この前までは古泉に対してだったが、今となっては、人をむかつかせることに関して、こいつの右に出る者はいないと思った。 「そんなこと言っちゃってえ、」 まだ続くらしい。しばらくからかうつもりらしい知美は、ひとまずスルーすることにした。いつものように聴覚を遮断して、授業内容を思い出しつつ白いスペースに記録した。ふと、こんなものを作っても特進の奴だから自習していて必要ないかもな、と思ったりしたが、私は結局親切の押し付けをすることにした。 これを渡したら、古泉は喜ぶだろうか。 そう考えて、その発想があまりに所謂『恋する乙女』のようだったので、私は「くだらない」とまで思って頭をかいて、無感情にシャーペンを走らせた。喜んでくれたらいいななどと、そんなことは決して思わなかった。この時、私は自分で決めた使命を全うしているだけだったからだ。 放課後になって、いつもの如く私は部室へ足を運んだ。 理数の特進クラスだけあって、生徒も真面目でHRも滞りなく進むわけで、大抵此処へ来ると一番乗りであった。随分熱心に参加しているように思えるが、そういうわけでもなく、単に結構がらんとした部室が好きだからそれなりに早く来てしまうのだ。ちなみに同じクラスの古泉は、何故か私より来るのが大分遅いので、一緒に行くことはなかった。 そして今日も例外ではなく私は一番乗りであった。適当に窓を開けて換気する。それからいつも座っている席に腰を下ろして、未だ終わっていなかった古泉用解説書を鞄から出した。欠伸が出そうだった。 そうこうしていると、誰かがドアを開けた。誰も直さず立て付けの悪いままな扉は、いやな音を立てるばかりである。 「あーもうっ!今日の部活は中止よ、中止っ!」 どたばたと大声を上げながら入ってきたのは、団長ハルヒであった。毎度毎度、非常に騒がしい登場である。その後ろから正反対にテンション低めで入ってきたのはキョンだった。さっきの私じゃないが、欠伸でもしそうだった。それはさておき、中止? 「古泉君が休んだらしいじゃない!そういうことは、早く言いなさいよね!」 ハルヒはばん、と両手で私の居るテーブルを叩くと、鋭い目で私を見た。ハルヒが来たあの休み時間に伝えておけと言っているのだろう。あの時から古泉は居なかったじゃないか、とハルヒに口答えすると、「トイレに行ってたかもしれないでしょ!」と猛烈な勢いで反論を食らった。唾が飛ぶ。 「とにっかく!お見舞いよ、お見舞い!キョン、あんた行ってきなさい」 ハルヒはぐるりと振り返ってキョンにまで鋭い目を向ける。キョンの眉間に皺が増えた。「何で俺が」と表情が訴えている。多分覆す余地はない。私はご愁傷様とばかりにキョンを見てやると、キョンは盛大な溜息をついた。結局何も反駁しないのだな。 「そ、れ、と!」 ハルヒがこちらを振り返る。溜息をついていたキョンが、ふいににやりと笑った。 「ついでにも行ってきなさい」 再びこちらを振り返ったハルヒは、鬼の如し形相で言った。まさかと思った。嘘だと思った。さっきまで平然とキョンを他人事だと思って送り出そうとしていた私は、何処へ行ったのだろうね。キョンのにやり顔はこれを予知したものだったらしい。こちらももちろん、覆す余地などないのであった。 「これ、みんなから徴収したわ。なんか買って行くのよ」 ハルヒの命令口調はなおも続き、私に何かを無理矢理押し付けた。千円札1枚と小銭だった。 「ちゃんと届けなさいよ!」 そこまで言うならお前が行けよ。 とかいうことは、もはやもう誰も口にしない代わりに、溜息が増量するのだった。 考えてみれば、もともと私は古泉用特別解説書を製作していたわけであって、つまりお見舞いどうこう言う前に古泉の家へ行くのは始めから決めていたことであった。 「お見舞いって何買えば良いんだろうね」 どっちにしろ行かなければならないのだから今更文句をたらたらと垂れ流さず、コンビニの店内を回る。隣でキョンが冴えない顔をして、「適当に飲み物と食べ物買って行けばいいだろ」と投げやりでいる。 SOS団員によれば、古泉は一人暮らしらしい。休むほどの風邪なら買い物にも出ていないかもしれないと思い、スポーツドリンクを2Lボトルで選らんで、なにか食べやすそうなものを厳選し、レジへ持っていくと、まだ恋しい時期じゃないけれど肉まんが目に入り、ついでにそれを自分のために自費で買って、なんだかんだ言いつつも選ぶのを手伝ってくれたキョンとコンビニを出た。 古泉の家までキョンと2人並んで歩くと、緊張感も自責の念もさっぱり感じられず、ついでに言えば私の歩調に合わせるような配慮も感じられず、でも緩々な空気には安心感があって、古泉とはまったく違うのだと思った。キョンの隣は楽だと思ったし、友達になりたいタイプだった。 「ここか」 長門の正確なナビゲート地図を見ながら、キョンと談笑しながら、歩みを進めると、それらしき建物に出くわした。マンション、というよりアパート、だろうか。建築物に対する常識力が欠けている私は、その手の判断がつかないのであった。まあ、私の根城ではないのでどちらでもいい。 地図に記載された部屋番号を確認して、その扉の前まで来て、「ここだよな」と互いにもう一度部屋番号を確認して、一拍置いてからチャイムを鳴らした。なんとも言えない空気が漂っていた。此処から古泉が出てくるのがあまり想像できない。 私たちは最初のチャイムから30秒ほど待った。それから2人して顔を見合わせた。古泉が出ない。 もう一押しして、二押しして、更にそれも三度目となったころ、キョンは「病院でも行ってるんじゃないか」と言ったが、私は居留守をしているような気もして、もしくは眠りこけているような気もして、扉をどんどん叩いて、 「古泉ー?」 名前を呼んでみた。近所迷惑にならない程度に。キョンが既に踵を返そうとしていると、どたどたという足音が室内から聞こえてきて、さすがに視線を扉に戻さざるを得なくなった。 「っさん?」 鉄の扉が開いた。玄関は古泉が蹴散らした靴が散乱していた。古泉は居た。風邪っぴきの顔だった。キョンが「残念ながら俺も居るけどな」と言うと、古泉は「済みません」と苦く笑って謝罪した。それで、結局居留守だったわけか。そうこう思っていると、 「客人をまともに相手する自信がなかったもので」 古泉は居留守を認めた。人の心を読むな。 さて、私とキョンは、ハルヒに命じられたがために差し入れをしに来ただけであって、病人の休息の邪魔をしてはならないという常識を持ち合わせていたから、とりあえず中にどうぞという古泉の科白に乗るわけにいかないのであった。 「俺はもう帰るぞ」 キョンは当然そう言った。荷物もちをしていたキョンがコンビニ袋をこちらへ差し出すので、古泉に持たせるわけにもいかず、私が受け取る。とはいえ私も邪魔をするわけにはいかないので、冷蔵庫までこいつを運んだら帰ろうと思い、古泉にそう伝えるのだが、 「帰るんですか?」 なんだか病人の顔が残念そうで、可哀想で、後ろ髪を引かれるので、 「…………解った」 上がることを了承した。キョンがやれやれと首を振った。真面目なお人よしのレッテルが貼られかけているのは間違いないだろう。顔を見れば解る。そうして軽く「また明日」と挨拶をすると、背中を向けたキョンがちょっとすると消えた。途端に私は何やってんだろうなと思い始める。 「どうぞ、上がってください」 古泉は病気なのに微笑んでいた。 古泉が食べたいと言ったのは、キョンと厳選した数々の喉を通りやすい品ではなく、以外にも肉まんだった。私の自費だったが、風邪っぴきに免じて許してやることにした。冷蔵庫に選りすぐりの食べ物たちを安置すると、コップにスポーツドリンクを注いで古泉に渡してやった。私はこいつの母親か。 「有難う御座います。助かります」 古泉は言って、飲食を開始する。私はスポーツドリンクを冷蔵庫に入れて、その様子を観察する。が、自分がそうされたら非常に食べにくいので、やめて部屋の観察に切り替えた。ところで、古泉の冷蔵庫はほとんど空っぽだった。駄目男だ。 不自然に生活臭のしない室内で、そういや特別解説集を作っていたなと思い出し、鞄からそれを出した。ノートのコピーも取って来た。はっきり言って、この解説は私が欲しいくらい上出来だった。あほか、と思った。 「これ、今日の授業の解説と、私のノートのコピー。要らんかもしれないけど」 親切心を安売りどころかタダで与えている私はまるで正義感の塊のような、真面目学級委員のような、そんな感じの存在である気がした。考えてみれば迷惑な親切では恩返しにならないなと思いつつ、だからと言ってどうすれば良いかなど解りもしないので、まあ暫くはこのまま続けることとした。なんだかなあ。 「…………。わ、凄いですね。ありがとうございます。大事にします」 紙を受け取った古泉は驚いたような顔をして、最初沈黙した。それから取ってつけたように感激の言葉を述べた。なんだそれ。喜んでいるのかそうでないのか。ただ、とにかく古泉が年相応に笑った、いやもっと子供みたいに笑った、ように見えたので、嬉しがっているのは確からしい。 にしても、大事にしますは間違っている気がする。キョンが度々ドン引きしているのが解った。お前は変態か。この部屋に来てから、私の中で古泉がどんどん駄目人間になっていっている。ところが残念なことに駄目な奴が嫌いでないので、ああ、古泉より、自分が駄目人間だなと思い始めていた。 「美味しい?」 私は小さなテーブルで肉まんを食べる古泉の隣に座ると、母親のような心持でもって、古泉に尋ねてみた。古泉は「ええ、とても」と微笑んで言った。顔は赤かったし、少しは元気が出たような表情だったが、力ない病人の顔をしていた。もう何も問わないでやろうと思った。客人の対応に自信がないと言っていたのを思い出したからだ。 古泉が食べ終わると、私は奴に寝るように促した。古泉は抵抗せずに布団に潜った。ぐったりしているように見えた。私は思わず駄目人間の頭に手を伸ばした。それでもってその頭を撫でてしまった。そいつは薄っすら目を開けて、眩しそうに私を見た。何をしているんだ私は、と思って手を引っ込めると、古泉は縋り付く子供のような目で私を見た。お前は何を望んでいるんだ。でも、まあいいか、と思った。 子供のようなそいつを、柄にもなく、抱き締めたいと思ったが、そんな光景はどう考えても有り得ないので、そして古泉が私を見るので、再び奴の頭を撫でて、行き場のなさそうなてのひらを握ってやった。 「嬉しい、ものですね」 古泉は笑った。弱弱しかった。私はまた、笑うな、と思った。こいつは世界の誰も知らぬ間に、死んでしまうような気がした。そう思って、自分のことでもないのに何故か悲しくなった。適当に寝て、適当に治してくれ。 何も言わずにただ頭を撫で続けて、手を握り続けて、そうしていると古泉はうつらうつらしてきた。私にここまでさせておいて寝やがる。大層嬉しそうな顔で。そう思いながら、ふと自分が微笑んでいることに気付いた。私はずっと、こんな顔をして隣に居たのだろうか。 「おやすみ」 何してんだろうなあ、と思った。 ―――I thought what I'm doing now at his side. 前の話 - 戻る - 次の話 |