「遅いっ!遅い遅い!もうみんな集まってるじゃない!」 我らがハルヒは憤慨した。 「すみません」 「…………」 怒られているのは、無論私と古泉である。畜生。ちなみに現在時刻は8時57分であり、遅刻かどうか問われれば、確実に私たちは死刑などではなく無罪放免である。つまり、単にハルヒが短気なだけであった。古泉が爽やかに謝っている後ろで、私は隠れるように溜息をついた。 「まあ良いわ。まずは作戦会議よ。あんたたちは、適当な店で全員分のドリンク代を奢ること!」 ハルヒは休日でもきっちりしっかりハルヒであった。そのハルヒとかいうやつは、私と古泉に人差し指を突きつけて、声高らかに罰則を言いやがった。一女子高生の財布の中身はそんなことをしていたら持たないんだがな。昨日だって肉まんを古泉にやってしまったしな。 数えるのも両手じゃ足りなくなるほど今日中にもうついている溜息を更にもう1回零し、だだ下がりしたテンションをどうにかこうにか押し込めようと眉間に皺を寄せていると、キョンが「大丈夫か?」と顔を覗き込んできたので、「もう駄目だ」的なことを私は口走った。キョンは私を憐れむような目で見ながらも、諦めろとばかりに頷いた。ああ諦めるさ。 一番後ろをキョンと歩きながら、前方の朝比奈さんの揺れる長い髪、長門の完璧すぎる歩きを見ながら、昨日と今朝は何だったんだろうなと私は思う。私と全員分のお代を奢る羽目になった古泉は、ちょっと先でハルヒにああだこうだ話し掛けられていた。なんだ、こうして見ると案外奴も普通の高校生なんじゃないか?私と居るよりずっと若々しい気さえするね。というより、寧ろ楽しそうだ。母が言うほど私と古泉は似合っていなくて、実際ハルヒだとかもっと明るい奴が似合いなんじゃないか?にしても、へえ、私はそんなにつまらない奴だったか。別に否定はしないが、少々腹が立つ。私の前ではそんなに楽しくないのだな。私は何だか機嫌が悪くなった。古泉から目を離す。もう良い。やめよう。いつものように苛々し始めたのは、今回ばかりは知美のせいではない。さて、だったら誰の所為だと? 「お前、あんまり顔色良くないんじゃないか?」 キョンが言った。ちょっと心配げに顔が歪んでいる。それを見て、友達って良いななどと思ったりする。若者じゃないな、こりゃ。つまらん奴だよ私は。友情が心に染みるなんていうのは、疲れている証拠に違いないさ。 「別に、なんでもないと思うけど」 「古泉の風邪、移ったとかだったら笑い事じゃないぞ」 「…………そりゃ冗談じゃないな」 特別体に異変はないと思うので、そのとおりキョンに伝えるも、聞きたくないことをキョンから聞いてしまい、ただでさえ下がっていたテンションがさらに下がった。もういい、やめよう。とさっき心の中で言ったばかりなのに、出てくる名前は古泉である。苛々するから全身全霊をもってそれに関する話題を避けたかったが、言うのも不自然なのでやめた。何をするにも、話すにも、古泉古泉とうるさい。 知らず声が低くなったのを今更巻き戻すことなど出来ないので、キョンがますます顔を歪め、私は本当に何やってんだかなあと思いつつ、ああ、自分は古泉以上に駄目な奴だ、と思った。一度自らを卑下するとネガティブに歯止めが利かなくなるので、そんなこと、思いたくなんかなかったよ。 ハルヒのあとをだらだらついていくと、喫茶店の店内だった。小洒落た内装が自分らしくないなとぼんやり思いつつ、ハルヒなんかはこんなところに来るのだなと年甲斐もなく思った。私は家でのんびり茶を飲むくらいが丁度良いと考えているので、若者たちがどんな気持ちで此処へ来ているのかが想像だに出来なかった。同い年なのに楽しさを、気持ちを共有出来ないなんて、心底つまらない奴、だろうな。まあそれだって個性さ。へこむな、自分。……いや、へこむ必要なんてないじゃないか。知るか、古泉が楽しめるかどうかなんて。 「で、クジよ。これで決まった班で行動するわ」 そもそも何をするかというと、不思議探しらしい。禁煙席についた私たちは、各々が適当に飲み物を頼み、それからハルヒがクジを取り出した。よく作ったもんだ。そう思っていると、キョンが、「よくやるもんだ」と小声で呆れた声を出し、それが丸々自分の思ったことと重なっていたので、班になるならキョンとが良いなと思った。絶対気が楽だ。 店員が運んできた飲み物を、ハルヒが早速一口飲み、クジをみんなに引くよう促した。どうせハズレクジを引くんだろうな、私は。と思う辺り、こりゃ確実にネガティブを突っ走っているな。 「じゃあみんな、印が赤だった者同士、青だった者同士、黄色の者同士よ」 ハルヒが意気揚々と言う。この人数で3組に分かれるのだから、2人ずつなのだろうな。結果、それが一番効率の良い分け方だろう。まあ、誰でも良いか。ハルヒなら彼女に従えば良いし、朝比奈さんや長門だったら親睦を深めればいいしな。良い機会、くらいに思っておけば良いだろう。気楽に行けばいい、気楽に。ハルヒがクジをみんなの前に差し出す。それぞれの手が伸びる。 そんでもって、クジは全て引かれた。 「赤だわ」 「私も赤でした」 ハルヒ、朝比奈さん。 「青」 「青だな」 長門、キョン。 ここで、誰にも聞かれなかった私の溜息が入る。キョンとにはならなかった。ならなかったし、ハルヒとでも、朝比奈さんとでも、長門とでもなかった。誰かが自らの引いたクジの色を言う度に、谷底へ落ちていく気分だったなんて、言えるわけがない。なあ、引きが悪いのは、引く前から予想していただろう?そのうえ誰でも良いか、とまで心の中ではほざいていたのは誰だ?私だ。紛れもなく私さ。だから溜息なんてつくもんじゃない。つくもんじゃ、 「黄色ですね」 古泉が爽やかに笑った。言われなくても解ってるよ、この野郎。結局私は溜息をついた。 駅前の喫茶店から出ると、早速三手に分かれて謎の捜索が開始された。こんないつも歩いているような場所に不思議なんてそうそう転がっちゃいないに決まっているので、私と古泉は人通りの少ない、あまり行った事のない道を練り歩くことにした。人気のない場所というのは、私たっての希望である。静かに、適当に探せばいいと思っていたし、今朝は朝早かったからさほど気にしなかったが、古泉と2人で歩いているのを北高生に見られたくないのである。それが古泉狂なんかだったら、恐ろしくて私はもう2度と学校に行けないだろうよ。ただ、人気のない所と私が言った時に、古泉が、 「大胆ですね」 とかいうことを言いやがったので、私は不機嫌だった。いや、もともと不機嫌だったのだから、ますます不機嫌になった、だ。何で私が古泉と行かなきゃならないんだ?団活のサボタージュは死刑に匹敵するだろうか?そうこう考えながら、そういえば、そもそも私は古泉に親切返しをしようだなどと言っていなかったか?と気付いた。死にたくなった。なんでその相手がこんな変人なんだ。まあ、そうは言うものの、別に奴が嫌いってわけじゃない、とだけ明記しておくことにする。ただ、苛々するのだ。 「謎ってさ、結局どんなもんをハルヒは求めてるわけ?」 私は苛々しながらも、此処に来て初めて、漸く質問らしい質問を古泉に投げた。出会ってから初めて、だ。遅すぎる。つまるところ私は古泉の趣味も誕生日も血液型も知らないわけである。知る必要もまた、ないのであるがな。それにしても初めての質問が古泉に関することでないのが私らしかった。とりあえずいつまでもだだ下がりのテンションを引き摺っていくわけにもいかないので、適当に古泉に話を振って調子を戻すことにした。もう、適当に過ごせばいいんじゃないか。ポジティブにな。 「宇宙人、超能力者、UFO、UMA、それに準ずる一般理解を超えたもの、でしょうか」 私は疑問をぶつけておきながら、古泉に生返事を返すしか出来なかった。そんなのを探せというのか?んなもん見て生きて帰ってくる自信がないね。 「出来ればそんなものに出会わなければいいんですがね。あ、涼宮さんには内緒ですよ」 古泉は私の横を歩きながら、割にまともなことを言った。驚いたね。へえ、と思わず口にしそうになったくらいだ。「へえへえ、解りましたよ」と返事をしつつ、 「んじゃあ、どうして会わなきゃ良いって思うわけ?」 私はテンションの維持と、案外まともだった古泉の意見のために、更なる質問をする。「はい解りました」と返事が出来ないところが捻くれた私らしくもあるのだが、こんな返事をされたら普通は腹が立つわけで、しかし古泉ときたら薄っすら苦笑しつつも穏やかに笑っていた。変な奴だ。なんとなくその変人の顔を見つめてみる。 「簡単なことです」 聞きながら観察すると、古泉は相変わらず綺麗に整った顔をしていた。それから私は驚くことになった。何故だと思うか?なにせ、内面の奇妙さがまったく滲み出ない麗しい古泉の容顔に乗せられた表情は、穏やかで、優しくて、楽しげで、嬉しそうで、まるでなにかとても大切なものを前にしているような―――なんだ、これ? 「ええと、そうですね、」 息が止まるかと思った、なんて口が裂けても言わない。爆笑したっていいほど有り得ない。私はこんなの知らない。知らないし、見ていない。そうだ、なかったことにすればいい。知ったこっちゃないさ、古泉がどんな顔をして私を見ていようとな。古泉は話を続ける。私はそれを見ている。どうだっていいはずの古泉を見ている。目を離せば良いのに、優しげな表情からの逸らし方が解らなかった。見ていたいとさえ思った。なんだ、これ? 私は胸に鉛が落ち込んだ気がした。急速に苛々が苦しさになっていく。どうだっていい。どうだっていいさ、古泉なんて。ああ、だけど、何故だろうな。古泉を見ていると、古泉の隣に居ると、おかしいのだ。むかついたかと思えば、世話を焼きたくなったり、唐突に愛おしくなったりする。 そういうわけで、誰か私の問いに答えてくれる奴が欲しい。『知ったことじゃない』のに、肺が活動を止めてしまったかのように呼吸が詰まるのは何故だろうか?胸が苦しいのは? ところが、当然ながらそんなことは関係ないとばかりに、古泉の言葉は続く。 「折角のデートを邪魔されたくありませんから」 古泉がデフォルトの笑みを浮かべながら、いつもの調子で言った。いつもと同じだった。いつも、古泉は嬉しそうな顔をしていた。楽しくないやつは、そんな顔をしない。私は目を細めた。ハルヒと話している古泉の顔より、こっちの方が何万倍も楽しげだと思った。だったらどうして、ハルヒと居る方が楽しそうだと思った?人のが良く見えるなんて、そんなのまるでやきもちだ。 古泉はいつもと同じだった。同じだったのに、でも私は、いつもの調子なんかじゃなかった。重たい鉛が、徐々に沈んでいく。古泉は、嬉しそうに笑う。何がそんなに嬉しいんだ?つまらん人間と一緒になって、何がそんなにお前を満足させるんだ?楽しくなんかないはずなのに、どうしてそうやって、「心底嬉しいです」みたいな顔をしているんだ?私なんかが一緒でも面白くないのに、ハルヒと話している時の方がずっと、ずっと楽しそうだったのに。 『仲良い子が自分じゃない別の人と仲良く喋ってると寂しいよねー』 とかなんとかいう話は、以前に知美がしていたやつだ。それを思い出しながら、ああ、それに似ているなと思いつつ、ふと我に返ってそんなことはないと全面否定した。そもそも仲良くない。にしても、この言葉が今最も私の気持ちを表しているような気がするのは確かであった。 つまり私は、寂しかったのだろう。私は、ハルヒと古泉が一緒に居るのを見ていて、寂しかったんだ。なんだかなあと思いながら隣を見ると、古泉は嬉しそうに笑っている。私はふいに、こうして笑いかけてくれる古泉が好きだと思った。思って、その事実に息が上手く出来なくなった。 「ここだけの話、実は涼宮さんに頼んだんです。貴方と一緒の班になれるよう」 古泉は楽しそうに続けた。私は結局、息の仕方を忘れてしまった。馬鹿じゃないの、と思った。思ったし、実際に言ってやった。言いながら、声が震えているのに嗤いたくなった。泣きそうだった。悪いことをしているような気になるのだ、古泉が笑うたび、私が隣に居てはいけない気がするのだ。だから、もう、とにかくやめてくれよ。冗談なんか、聞きたくないんだ。私と居たって、古泉、お前は楽しくなんかないよ。 自分で思って、自分を責めたくなった。なんで私では駄目なのか、なんて、思い込みもいいところで、ずっと古泉は私に笑っていてくれたのに、私は今何を思ったのだろうか?何をしているのだろうか?古泉が心から笑っていてくれたのを、否定したのか?また間違えたのか?心底、古泉に悪いと思った。それから、嫌われたくないと思った。嫌わないでほしいと思った。どうしてだろうか?頭の中がめちゃくちゃに綯い交ぜになって、混乱する。呼吸が苦しい。どうして胸が詰まるのだろうか?疑問ばかり浮かばせるのに、答えは出そうとしない。答えを出すのが、怖いのか? ああ、怖いさ。だって、そうじゃないか。 相手のことばかり考えて相手と誰かが一緒に居るのに苛立って寂しくなって相手の顔を見て言葉を聞いて苦しくなって、 「…………嘘だ」 掠れた小さすぎる声が呟く。 だって、だってそんなのは、 「どうしました?」 ―――恋に決まっているじゃないか。 古泉が心配げに私の顔を覗き込む。そういえばキョンにもそんな顔をさせた。いや、違う。キョンはそんなを顔をしていなかった。私が錯覚を起こすような風じゃなかった。キョンは、違った。キョンと古泉は、違う。 古泉の目が私を柔らかく刺した。切ないっていうのは、こういうことなのか?鼻で嗤ってやりたかった。嗤って、やりたかった。こんなの、知らなくてよかった。古泉の目は、今だけは望んでもいないのに優しかった。同時に、心が痛かった。見るな、と思った。私を見るな、そんなのは嘘だ、好きなわけがない、私はただ、親切を返そうとしているだけで、古泉に対する誤解が解けただけで、好きなわけではないのだ。好きになったら、いけないのだ。だから好きなわけがない。好きなわけが、ないのに。 「……さん?大丈夫ですか?」 呼ばれると、胸が圧迫される感覚に、たまらなくなった。苦しかった。生きているのかさえ、疑いたかった。胸に起こる感覚と、反駁する思考の、どちらが正しいのかを、誰も教えてはくれない。 「……泣かないでください、さん」 古泉は、私に向き直ってその優しい指で私の頬を拭った。泣いてなんか、いない。否定するために至近距離に居る古泉の胸を押そうとすると、古泉はやんわりそれを手で制して、それから私を抱き締めた。そうしていよいよ、私は泣いているのだと理解した。古泉は暖かかった。私と違って、暖かかった。私はついに泣き止めなくなった。私はついに、悪い人間になった。 「大丈夫ですよ」 名前を呼んで欲しかった。その声で名前が紡がれるのが、しあわせなのだと気付いた。 抱き締められるのが心地よかった。その優しい全部が愛おしかった。 「嘘、だ」 ただ、認めるのが、怖かったんだ。 ―――I found that I don't know myself at all. 前の話 - 戻る - 次の話 |