気が付いたら、朝だった。
 「おはようございます」
 「……………………」
 私は絶句したのち、
 「嘘っ!」
 悲鳴を上げた。絶叫だった。我ながら悲痛な叫びだと思ったね。息を吸うと、少しだけ肺が冷えるようだった。窓の外は明るく、多分早朝の空気だ。空気だが、似つかわしくない自らの悲鳴が上がり、それによってきっちりしっかり自分の目を覚ました私は、古泉を睨んだ。熱が下がったのか、いつもと変わらず古泉はにこにこと笑っていた。どうして起こさなかった。
 「お疲れのようだったので」
 古泉は爽やかに言った。そりゃあ駄目人間の看病でもすれば誰だってお疲れにもなるさ。殴ってやりたかったが、古泉の言うとおりお疲れだったので私は動かなかった。というのは半分くらい正解だが、半分は自分が古泉の布団で眠っていたことにびびったからである。風邪っぴきの横で手を握っていたらそのうちに眠ってしまったのを古泉が起床した後どうにかしたのだろう。古泉の言うとおり、どうやら布団を着せられたことに気付かぬほどお疲れだったらしい。布団は当たり前のように古泉のにおいがした。寧ろ自分のものであるはずのこの温もりさえ元を辿れば古泉のものなんじゃないか?健全な女子高校生が男子高校生の布団で温もりやらを感じているなんてな、さて、何てコメントすりゃ良いのか誰か教えてくれ。
 ところで、金曜日に古泉の家へ来て看病しはじめたのだから、今日は土曜日である。土曜日といえば、つまるところ、SOS団の集まりがあるわけで、
 「朝食、外でご一緒しませんか」
 駅前集合のついでに、と古泉は笑って言った。一日中こいつと一緒かよ。しかも朝飯作る気ゼロの笑顔だ。まあ、作るどうこう言う以前に、あんな駄目冷蔵庫じゃ見舞いの品しか出てこないだろうことは考えるまでもない。そんなことより、私だけ制服で行くのはちょっと遠慮したいところである。私服集団の中では歩いているだけでも目立つ。
 「なら、食べてから貴方の家へ寄りましょう」
 私がその事を伝えると、古泉は言った。付いてくるのは決定事項らしい。
 何も言わないうちから頭の中を覗かないでもらいたいが、話が早いし、なんだかもう全部適当に決めてくれと思いながら、とりあえず私は起床した。だらだらしていたら家に戻る時間がない。こんな状況では忘れそうになるが、遅れたら死刑である。死刑?確定だな。だってシャワーくらい浴びたいだろう。とか何とか思っていると、古泉が、
 「ああ、シャワー、使います?」
 と途端に言ったので、顔を顰めるしかなかった。古泉は爽やかに笑っている。ただの親切心の塊ではなく何かしら私に好意だかを抱いているのがそろそろ解ってきたので、顔がそのようであってもシャワーのワードにより下心が見え見えであった。古泉という変人が勝手に人の頭の中を読むのはもう今更だが、
 「遠慮しとくよ」
 私はこの手の下世話が嫌いだった。古泉は眉間に皺を寄せた私を見て何がおかしいのか喉を鳴らした。私にはさっぱりわからんよ。

 古泉とファーストフードといったら、結び付けようにも結びつかなかったわけで、結局それを目の前にしても、不自然さが拭えないのは、決して私の感性がおかしいからではない。
 「どうしました?」
 古泉はハンバーガーを口にして、じろじろ見つめる私に笑顔を向けた。
 なんだこれは。
 と、私は思った。まるでバーガーの宣伝を見ているようである。ということは、さほど似合わないわけではない、というか、外見からして似合わないものの方が少ないだろう彼は、見た感じ変ではないわけで、それでもしっくりこないような気に私がなっているのは、『古泉』という内面がファーストフードと相容れないというか、まあ、そんなところだ。自分でも何を言っているのか解らない。
 「……なんでファーストフードかな、と思っただけ」
 私はたった今思い付いたことを思ってもいないのに言った。
 「そうですか。それはすみませんでした」
 ところが古泉はにこにこしていた。いつもより、にこにこしていた。私は再び何故こいつが笑っているのかを考えてみる。ああ、私の考えなど看破しているからか。思ってもないってことくらい、お見通しだと。いつものように不愉快な読心術というわけだ。不愉快さも感じないくらいにもはや感覚が麻痺しているがな。溜息をつきたくなるね。まあそろそろこの辺で、もう疲れたって言ったって誰も怒らないだろう。
 私はやっぱり全部がどうでも良くなって、ウーロン茶の入ったカップから伸びるストローを吸った。吸いながら、そういや外国人はラーメンとか啜れないんだなとかいう話を思い出していると、古泉がじっとこっちを見ていた。古泉のプラスチック盆の上には、ハンバーガーのゴミと、ポテト、見もしないのにいつもある店のチラシ、紙系ゴミだけが散在していた。
 「…………飲む?」
 古泉はぼけているのか飲み物を買っていなかった。あほか。
 「いいんですか?」
 良いよと言うのもなんだか気持ち悪くて気が引けるので、古泉にカップを渡した。受け取った古泉の手は、お前本当に熱下がったのかというくらいのろまだった。短気に自信がある割に苛々しなかった私を褒めてやりたい。はて、どうして苛々しなかったのだろうな?まあ、どうでも良い。そういや昨日ニュース見られなかったな。まあ良いか。今日帰ったらだらだらついでに見よう。
 頬杖をつきはじめた私をよそに、古泉が、
 「間接キスですね」
 とほざいた。途端私は現実世界に戻ってきて、素早くも古泉を見た。というか、睨んだ。奴はにこにこしている。「間接キスですね」。ドン引きした。そこらの女子ならば頬を染めて恥らいつつも嬉しがるであろうが、私はこの生物は普通じゃないという感覚でもって引いて、それから古泉の顔を見て、
 「……笑えない冗談だな」
 こいつが狙って飲み物を買わなかったことに気付いてしまった。

 それから家に帰ってシャワーを浴びて服を着替えて、髪を乾かしつつ「ねえ、ちょっと、彼氏なの?」と、リビングに待たせていた古泉に興味津々の母親をあるわけないだろうとあしらいながら、支度をした。古泉は母親に出された茶を啜って、テレビを見ていた。ファーストフード店でなくても、どっか不自然だよ、お前は。
 「彼氏の一人や二人居たって、隠すことないじゃない」
 母親は、鞄に物を放り込む私に陽気な声音で喋った。私は「居たら今頃自慢してるだろうよ」と溜息混じりに悲しい現実を母親に告げ、鞄を閉めた。そういえば無断外泊に何か突っ込めよ。フリーダム過ぎる我が家に溜息を連発せざるを得なかった。
 私が忙しく準備に走り回っていると、カップ麺が出来上がる3分の間に、母親は私にああだこうだ言うのはやめて、その標的を古泉にしたらしく、楽しげに会話し始めたが、もう知ったこっちゃないので、無視を決め込むと、
 「古泉君がのお婿さんになってくれたら良いのにねえ。お似合いなのにー」
 ドン引き以降聞きたくもない台詞が飛び出してきて、母を睨んだが、奴め、そんな視線にも気が付かず中年のおばさんらしく話し続けてくれる。畜生。古泉は苦笑でもしているかと思えばにこにこしていた。どころか、「そうなったらいいですね」とのたまった。……おい、危うく携帯電話を取り落としかけたぞ。しかも年甲斐もなく盛り上がる母親と、動じず更にそれを加速させる古泉は、『ファーストフードと古泉』よりも遥かに自然だったりする。寧ろ私と古泉よりお似合いなんじゃないか。
 とにもかくにもそうのんびり母の相手をさせているわけにいかないので、支度が出来た私は、古泉の周りにひっついている母親を引っぺがし、茶をちびちび飲んでいた古泉がまだそうするつもりらしいので、その温い飲料をかっさらい、一気飲みした。今更間接キスがなんだという。
 「かんせ、」
 「さて、早く行かないとハルヒに殺されるな」
 なんだという、と言っても、古泉が間接キスという単語を口に出すことは頑なに拒否するがね。鳥肌が立つ。古泉をスルーして、飲み干したらただの入れ物と化した2人分の唇が触れた手中の物を流しに置いて、玄関へ向かう。古泉がついてくる。後ろで苦笑しているのがわかった。馬鹿、私は悪くないぞ。まあ、そんなの、知ったことじゃなかったがね。玄関で靴を履く。
 「ああいうの、気にしないんですか?」
 古泉は楽しいのか苦々しいのか判断のつきかねる声で、まあ言わば普通の声で、そう言った。私はついに鼻で嗤った。
 「気にするよ」
 だからこそドン引きしたのさ。



―――I knew that the fellow was an eccentric.
2008/5/11 - 2008/5/12


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